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鉛色のポッドのそばに、1人の少女がかがみ込んでいた。少女のそばには、様々な道具が入ったリュックサックが置かれている。そこからペンに似た物を取ると、彼女はそれを、ポッドの側部で開かれたパネル内のボタンのひとつに押し付ける。 『ああ、リルタ、解除されたようだよ。お疲れさま』 リルタ、と呼ばれた少女が着けている大きなヘッドホンから、ほっとしたような、人間のものとは少し異なる声が流れた。 「ああ、フェイル。こんなに厳重にロックされてるなんて、一体誰なんだろうね」 FAL――フェイルとは、パーソナリティを備えた、分散型の惑星管理システムの名だ。今は、この仮想世界を制御するフェイルと外部世界のフェイルは記憶や判断を共有していないが。 バーチャル・リアリティシステムにウイルスが侵入し、リルタが『夢の中の夢』に捕らわれた人々を解放しながらの旅を始めてから、体感時間で2週間前後の時間が過ぎていた。残る稼動中のポッドは、フェイルの記憶では数えるほどになっている。 そのうちのひとつが、今、ここにあった。 「まだ、プログラムは動いてるようだね。どんな夢を見ているのかな?」 ポッドの中の人物を覗き込もうと、リルタは背伸びをする。 そのとき、辺りが光に包まれた。 そこは、見覚えのある街並みだった。脇には大きなデパートやホテル、レストランが並び、通りは人でごった返している。今までの静けさとうって変わって、ざわめきがリルタの周囲を包み込んだ。 『ここは……中央区みたいだね。これからどうする?』 「とりあえず、街の真ん中に何かある気がするな」 現実世界で何度も通ったことのある中央通を、リルタは管理局をめざして北上した。人の流れに紛れながら歩いているうちに、管理局の周囲にある公園が見えてくる。青い空を背景に、緑の芝生が映えた。 その入り口の前まで来ると、人の流れを出て、石畳の道に入る。 公園の外周には青々とした葉をつけた木々が植えられ、その手前には、花壇が整備されていった。今は、花も見ごろの時期らしい。黄色や赤、ピンクなど、明るい色で彩られている。 中央には、噴水があった。噴水と花壇のそばに木目の美しいベンチが並び、歩き疲れた者や、子供連れの女性など、老若男女が憩っている。 そこにいる顔ぶれを見回し、リルタは背を向けた。塔のような管理局の、入り口のひとつが視線の先にある。 「今のところ、夢の主らしい人はいないか……」 つぶやき、彼女は管理局に入る。警備は厳重だが、一般人でもある程度は自由に出入できる。 自動ドアがスライドして一歩踏み込むと、リルタは辺りを見回した。 そして、彼女は愕然とする。 「これは……」 周囲の景色が一変していた。ごつごつした岩場が広がり、岩山の向こうには、地平線まで森が広がっている。リルタのいる辺りは、少し先が崖になっているらしかった。 『夢の内容が切り替わったのか……?』 ヘッドホンから、怪訝そうな声が洩れる。 首をかしげながら崖のほうへと踏み出したリルタの耳に、奇妙な鳴き声が届いた。見上げる彼女の視界に、見たこともない、体長数メートルもあるような怪鳥が入る。赤い尾と青い翼、大きく鋭いくちばしを持つ鳥は、宙でホバリングし、金色の目で地上の人間を見下ろす。 「味方じゃないみたいだね」 『エサだと思われたのかも』 ことばを交わしながら、リルタは横に走った。その背後を、急降下した怪鳥が通り過ぎる。 怪鳥はまた上昇すると、少女の姿に追いすがる。 「天然記念物かもしれないけど、命が惜しいから」 ジャケットの裏ポケットに右手を入れ、リルタは立ち止まる。そして、待ち受けるように怪鳥をにらみつけた。 怪鳥は怯むことなく見上げる少女の頭上をめがけ、再び急降下する。ブレのない直線を描く動きを読んで、リルタはリヴォルバーを握った手を取り出し、銃口をピタリと怪鳥にポイントした。 ダダン! 銃声は、2回連続して響いた。 銃弾は確実にターゲットを打ち抜いている。一発は眉間を、もう一発は左の翼を。 怪鳥はバランスを崩し、岩場に激突する。 『少しかわいそうだけど、仕方ないな』 「ま、ね。それより、夢が切り替わるなんてありえるの?」 リヴォルバーをポケットに戻しながら、リルタはマイクに呼びかけた。それに対するフェイルの答は、どこか歯切れが悪い。 『普通は、わたしが指示されて切り替えられるけど、人間が自力で何の脈絡もない内容に切り替えることは……しかし、今は特殊な状況でもあるし……』 「ウイルスのせいでデータが混乱してるのかもしれないってことか」 溜め息を洩らし、再び周囲を見回す。 すると、再び異変が起きた。 「今度は何だ……?」 新しく広がった光景を再度見回して、彼女は眉をひそめた。 『遊園地かどこかなのかな?』 そこは、入り組んだ通路らしかった。通路の壁も床も天井も、すべて鏡でできている。何人ものリルタが、彼女自身を眺め、あるいは彼女に背中を向けていた。 彼女はとりあえず、ミラーワールドの出口をめざして歩き出す。 「こんな夢を見るのはどんな人だろう」 鏡に映った通路と気づかずぶつかりそうになって、壁に手をつきながら、溜め息を洩らす。 『いっそ、全部割っていったら?』 「出口がどこかわからなければ意味がないよ」 迷わないよう、頭の中で今まで通ってきた通路を思い描きながら、彼女は歩を進めた。やがて、鏡の壁に青い光が映りこむ。 彼女はその青い光の筋を追って進むことにする。 『こんな広いミラーワールドは遊園地にはないね』 「ああ……それにこんな仕掛けもね」 リルタは、行き止まりになっている壁に近づいた。 青い光に包まれた鏡の壁の中には、円形の部屋が映し出されていた。部屋の中心にはベッドがあり、そこに横たわる人間の姿がある。 少女は、思い切ったようにその光景に手を伸ばす。手が鏡に触れた瞬間、視界が光に包まれる。 気がつくと、彼女は円形の部屋にいた。部屋の壁は何枚もの四角い鏡で埋め尽くされていて、鏡のなかでは、それぞれ別の映像が展開されていた。 「お姉さん、誰?」 少年がベッドに座っていた。リルタより1つ2つ年下くらいの、金髪碧眼の少年だった。白い寝巻き姿で、足には靴もはいていない。 「わたしは、リルタ。『夢の中の夢』に捕らわれた人々を解放して旅をしている。きみがこの夢の主なのかい?」 「……夢?」 『つまり、仮想現実のことだよ』 首を傾げる少年に、フェイルが説明を加えた。それでも、少年は理解しきれていないようだ。 「ええと……きみが、現実世界の仮想現実発生装置のポッドに入って、この仮想現実を設定したのかい?」 リルタが再び別のことばで尋ねると、少年は少しの間考え込んでから答えた。 「ううん。ぼくは身体が弱くて、何年か前から、ずっと眠ってた。その間も、夢は見たよ。でも、こうやって色々な夢を見れるようになったのは、ちょっと前からだよ」 首を振り、否定する彼のことばに、リルタとフェイルは少しの間、沈黙する。 少年はその様子に気づかず、説明を続けた。 「ある日突然、夢の中にお祖父ちゃんが来て、言ったんだ。お祖父ちゃんは有名な科学者で、これからぼくに色々なものを見せてくれるって。『望めばいつでも誰とでも会える、もう寂しくないよ』って」 リルタとフェイルは、沈黙を続ける。 「ぼくは長くは生きられないみたいだから、ここで色々見られるのは楽しいよ。でも、ここから出ないといけないの?」 「それは……」 この少年の場合、夢から覚めたからといって、意識が取り戻せるわけではない。楽しい夢が消え、何もない暗黒に戻るだけだ。 『しかし……このまま放っておいたら、ウイルスの悪影響で精神を壊されるかもしれないし……そうなれば、2度と目覚めることはできないよ。システムが正常に戻ったらまた接続できる機会もあるかもしれないし』 「そっか。夢を消さないといけないんだ」 少年は、あっさり受け入れた。 「冒険を体験できなかったのが残念だけどね。たぶん、現実世界じゃ不可能だから」 彼は苦笑しながらそう付け加える。 『今からでも遅くはない。冒険を体験することはできるよ。ただ、今わたしが利用できるデータは少ないから、リルタの記憶を使う必要があるけどね』 「かまわないよ」 リルタは即答した。 驚いたように目を見開いていた少年の顔に、やがて嬉しそうな笑みが広がっていく。 『準備はいい?』 「うん!」 彼はフェイルに、大きくうなずいて答える。 その、現実世界では閉ざされている五感が、今までとは別の世界を捉えた。 『それじゃ……いいかい?』 フェイルが問い掛けると、少年はうなずいた。 「うん、いい思い出ができたよ。また、現実世界で会おうね」 「ああ、また会おう」 手を振る少年の身体が、薄れていく。 それに手を振り返し、同時に溶けていく鏡の世界にいながら、リルタは脳裏に、ある科学者の記憶を思い浮かべていた。 気がつくと、少女はP−ポッドのそばに立ち尽くしていた。足もとにはリュックサックが置かれている。 我に返ると、彼女はすぐに、作業を開始した。ポッドの制御権をウイルスから切り離し、フェイルに移行する。 『あれでよかったのかな』 フェイルが、迷いのある調子でつぶやいた。 『重病なら、また目覚めることができるかどうかもわからない。彼はすべてわかっていたようだけど』 「わかっていたなら、それでいいだろう。ここを正常に戻せれば、また楽しい夢を……それに、仮想現実で現実を体験することもできる」 『元に戻さないとね』 決意が込められた声を聞きながら、リルタは作業を終え、立ち上がった。いつものように、リュックを背負い、歩き出す。 「元に戻して見せるさ」 残る異常なP−ポッドは、あとわずか。 すべて元に戻せるときが来るまで、そう時間はかからないはずだった。 |
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