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 そこには、六角形のステージがあった。白い岩を切り出したブロックで組まれた、数十メートル四方のステージが。
 そのステージは、階段状の観客席に囲まれている。さながら、かつて奴隷戦士同士や奴隷戦士と猛獣が戦ったという場所、コロシアムを思い描かせた。実際の用途も、それと似たようなものなのだろう。観客席を隙間なく埋めた人間の波が、ステージ上の光景に歓声と叫びのうねりを上げているのだから。
 しばらく辺りを見回していた少女は、前方に視線を戻した。
 小柄で、だぶだぶの服をまとった彼女は、目の前に立つ大男の顔を見るのに、首を大きく後ろに曲げなければいけなかった。分厚いチョッキを着た大男は視線が合うと、にやりと唇の端を吊り上げる。
「とっとと武器をかまえたらどうだい、お嬢ちゃん? さぞかし凄い武器持ってんだろう?」
 男は、少女の背中のリュックサックを見て言う。
『ずいぶん、荒っぽい夢みたいだね、リルタ』
 大きめのヘッドホンから、どこか遠くから聞こえるような声が、少女リルタにささやいた。少女はステージの真ん中辺りに突っ立ったまま、小さくうなずく。
「とりあえず、夢の主はこのおじさんじゃないね。観客席かな?」
「誰と話してるんだ? ……最後の祈りでもささげてんのか。せいぜい、楽に逝かせてやるぜ」
 男が、肩に担いでいた大きな銃剣をかまえた。
 ガーン、と壊れたような鐘の音が響いた。それと同時に、リルタは横に跳ぶ。銃弾がもといた場所に小さなくぼみをつけた。足首を撃って動きを封じるつもりだったのだろう。
 男は撃つのをやめ、銃のバレルに平行して伸びた刃を突き出した。リルタは身を低くしてそれをかわす。右手は、ジャケットの懐に入っていた。
「お前――」
 男が驚いて目を見開く。その眼前に、黒い銃口が突きつけられた。
 タン――
 軽い音が響く。観客の歓声にかき消されて、ほとんど聞こえなかった。
 男が倒れるのを一瞥して、リルタはステージを降りた。レンガの道が屋内に続いている。おそらく、控え室に続いているのだろう。
 白い柱が並ぶ通路で、彼女は1人の青年に出会った。腰に剣を吊るしている……ということは、彼もこの戦いの参加者らしい。
「あんたのほうが帰ってくるとはな。一体どうやって殺ったんだ?」
「……殺していません。眠らせただけです」
 リルタが言うと、青年は目を丸くした。単純に生き残ろうとして死なせるより、傷つけずに勝つことのほうが難しい。それは、わかりきったことだ。
 信じられないが嘘をついているようには見えない、と複雑な表情の青年に、リルタは尋ねた。
「いくつか、お尋ねしたいことがあります。まず、皆さん、なぜ戦っているのですか? それに、優勝して何か与えられるのですか?」
「それを知らないで戦いに来たのかよ? ……この大会で優勝するのは、とても名誉なことなんだぜ。一生遊んで暮らせるだけの財産も得られるが、参加しているのは皆戦士の部族の代表だからな、やっぱり金より名誉が大切だ。敗北者には死を、それに、戦士として恥ずべき行為をしたものには呪いが与えられることもあるけどな」
 十年ほど前、敵を前に命乞いをした者は呪いによって鳥に変えられ、また、数年前に次の対戦相手に酒をおごってそれに盛った毒を飲ませようとした者は、口にしたものがすべて胃の中で腐る呪いをかけられたという。
「そいつらは、みんなここの地下牢に捕らわれているよ。滅多に近づく者はいないが……でも、そこには伝説の男ってのがいるんだ」
「伝説の男?」
「ああ、ずっと眠り続けている男さ。呪いだろうと言われているが、どの記録にも誰の記憶にもない。かなり大昔から眠り続けてんだろうな」
「……なるほど。質問に答えていただき、ありがとうございました」
 ペコリ、と頭を下げて、リルタは青年から離れた。
 少し歩いて、柱の間から小さな庭に出る。周囲に人の姿はなく、庭といっても、あまり手入れの行き届いていない木と茂みがあるだけだった。
 木の陰に入り、背中をもたせかけて、リルタはヘッドセットのマイクに声をかける。
「フェイル。誰が怪しいと思う?」
 FAL――フェイルは、彼女の惑星の、惑星管理システムの名だ。その一部である仮想現実体験プログラムが、この世界の正体だった。ウイルスの侵入により暴走した仮想現実世界、『夢の中の夢』にとらわれた者……それが、リルタを取り込んだ世界の主人である。
『伝説の男が気になるな。地下牢って、どこにあるんだろう?』
「さっきの人にきいたほうが良かったかも。戻ってみるか」
『アブナイ人がいるかもしれないから、気をつけて』
 フェイルの注意を聞き流しながら、通路へと取って返す。引き返すうちに、どこか無気味な静けさに、遠くからの熱を帯びた歓声が混じってくる。
 青年に会った地点まで戻ったが、人の姿はなかった。
『観戦しに戻ったのかも。誰か戦ってるみたいだし』
「それとも、自分の出番なのかな」
 リルタはさらに引き返して、屋内から出た。ステージが見える。それに向かって浴びせ掛けられる歓声や野次、罵声や悲鳴が一気に押し寄せた。
 しかし、肝心のステージ上の姿は……見えなかった。
『なに? 盛り上げの練習?』
 興味津々で言うフェイルのことばを上の空で聞きながら、リルタは近くの観客たちの顔を凝視した。握りこぶしをつくって、息をのむような表情でステージ上を見守る者、祈るように手を組み合わせて見つめる女性、手を振り回して怒声を浴びせて、時折あきれたように「あーあ、何やってんだ」、「チャンスだったのによ」、と溜め息を洩らす中年男性。そして、溜め息や歓声のタイミングは全体で合っている。確かに、彼らには何かが見えているようだ。
「……どうなってるんだ?」
 目を凝らしても、何も見えない。彼女は、平凡な疑問のことばを口にすることしかできない自分に少し苛立った。
 少し黙っていたフェイルが、やがて思いついたように言う。
『ここが、仮想現実の試合を楽しむためのスタジアムだとか』
「聞いたことがあるな。もっと一般的なスポーツの話だけど。でも、仮想スタジアムだからこそ、こういう試合会場を再現しようとしていたって不思議じゃない」
『もうひとつは、ここに何か機能不全が起こっているってこと』
「ウイルスか……」
 リルタは周囲を見回し、再びステージ上を見た。
 彼女には、ミミズのようなものがうねうねと踊っているのが見えた。その周囲の景色が歪んでいる。
『喰われている……?』
 愕然としたように、フェイルがつぶやいた。
 リルタは、弾かれたように走り出す。屋内へ。
 薄暗い通路を、彼女は駆けずり回った。地下への階段を探して。
 やがて、下に続く階段を見つけ出して足を踏み出したとき、大きなものを引きずるような音が近づいて来た。かまわず、彼女は階段を駆け下りる。
 キイイー、キイィー、と、鳥の鳴き声がした。一番手前の牢の前に、鳥かごが吊るされている。牢のなかには人影があったが、番人はいないようだ。鉄格子にしがみついて「出してくれ!」、「この地獄になんの用だ」などど怒鳴りつけてくる者もいた。その前を通り過ぎようとするリルタに、砕いた陶器の食器のカケラを投げつけてくる者もいて、まるで、映画の中の凶悪犯が捕らえられている監獄のようだ。
 そして、半分はその通りとも言える。
『リルタ……』
 フェイルが不安げな声をかけた。ズルズル、ドドド……という音が近づき、天井が震えて土埃を落とし始めている。
 リルタは急いで牢を見て回った。眠っている男はなかなか見当たらない。
 やがて、最後の牢の前で、彼女は足を止めた。
 そこに、眠っている男の姿がある。ベッドに横たわっているのは、ボサボサの髪に無精髭を生やした、30歳前後の男性だった。
 後ろで、ミシミシと音がした。数メートルの太さはある巨大なミミズが、階段を半壊させながら降りて来る。
「起きてください! 起きて!」
 鉄格子越しに叫ぶが、ずっと眠り続けている男がそれくらいで目覚めるはずもない。
 リルタは、自らの意志の力でビームサーベルを創り出した。彼女が持ち込んだ彼女の夢は強力で、あっさりと鉄格子を両断する。
 牢のなかに入って、男を揺する。耳もとで怒鳴る。頬を叩く。すねを蹴飛ばす。
 が、男は規則正しい寝息を乱すこともない。
『だいぶ深いレベルまでこの夢と同調しているようだ……しかし、意識のなかまで入って呼びかけられれば……』
「どうするの?」
 牢の外に、ワームの先端がぬっと姿を見せた。
『一旦、あいつと接続してもらう。取り込まれる前に叩き起こして、あいつを駆除。こっちもだいぶデータが集まっているから大丈夫のはずだよ。ただ、駆除はリルタに協力してもらわないと。タイミングが難しい……』
「やるしかないんだろ」
 鉄格子が折り曲り、すぐに吹っ飛んだ。先に異物を駆除するようプログラムされていないことを祈りつつ、リルタは眠り続ける男のベッドの陰にかがみこむ。右手には、ビームサーベルの柄が握られたままだ。今は刃を出していないが、必要となればすぐに展開できる。
 ワームは容赦なく、牢のなかに侵入してきた。巨大な蛇にも似た赤紫の怪物がベッドの上を見下ろすように、首をもたげる。そして、その首がほんのわずかな間、振り上げるように勢いよく上げられた。
 次の瞬間、それが叩きつけるように振り下ろされて、男の額に触れ――
『リルタ!』
 フェイルが処理に要した時間は、ほんの一瞬だ。彼が声をかける前に、リルタはビームサーベルに青白い長大な光の刃を発生させ、立ち上がりながら身を捻っている。
 すべて計算づくのように、フェイルの声が途切れた刹那、刃がワームの表面に届いた。空を切るような軽い手応えだが、確かにそれは、相手の太い胴を薙いでいた。
 一刀両断されたワームは、宙に静止したまま、数秒間のうちに色を失い、姿を薄れさせて消えていった。
『よかった。いつもながら、リルタは仕事きっちりだね』
「まあね。それより……」
 ベッドを見ると、男が身を起こすところだった。それを、リルタが慌てて支える。
「大丈夫ですか?」
 わずかに心配そうな彼女のことばに、男は頭をかき、あくび混じりに答える。
「ああ、よく寝たよ。それで、ここはどこだ?」
 彼のことばに、リルタとフェイルは少しの沈黙を返した。

 男はフェイルにパスワードを言い、すぐに現実世界に帰っていた。主人を失った『夢の中の夢』から、ただの夢へ帰還したリルタは、『夢の中の夢』に使用されていた領域をフェイルの支配下に移行する。
 こうして、いくつの領域を確保してきただろうか。十は下らない、と彼女は思った。
『わたしの記憶が正しければ、あと2、3だよ。でも、ここにきてだいぶウイルスに深くまで侵食された夢が増えてきたから、気をつけないとね』
「ああ。なに、すぐに全部元に戻して見せるさ」
 少しずつ、すべては元に戻ろうとしている。
 なのに、どうしてここは荒れ果てたままなのだろう?
 廃墟と化した都市の跡らしき周囲を見回し、リルタは思っていた。
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