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「これを、あの岡の屋敷に届ければいいんですね?」 リルタは、長方形の小さなケースに目を落とした。中には、7つのカプセルが並んで収まっている。 「ええ、お願いします! お礼は約束の倍払いますから」 レイナ・イリーズと名のった白衣の女性研究員は、目に涙さえ溜めて懇願した。 約束とやらの内容はわからなかったが、リルタは「任せてください」と言って研究所らしき建物を出た。 『リルタ、どうする気だね? 届けるつもりか?』 「他にどうしようもないよ。行ってみるしかないでしょ」 見覚えのない街並みだった。それも、降りしきる冷たい雨で霞んでいたが。 だぶだぶのジャケットも長すぎるズボンも水を吸い、リルタはその重さに顔をしかめる。とても仮想現実――それも、『夢の中の夢』だとは思えないほどリアルな感覚。 頬にはりつく髪を後ろにどけ、少女は岡の上を目差した。辺りに人の姿はなく、商店街の家電製品店のスクリーンが、むなしくショーケースのガラス越しに通りを照らす。スピーカーから洩れる声が、リルタの脇を遠ざかっていく。 『こんな夢を見るのはどんな人だろうか……とにかく、無事だといいが』 ヘッドホンから、惑星管理システムFAL――フェイルの溜め息が洩れる。 リルタはアスファルトの坂道にさしかかっていた。水溜りも意に介さず、ブーツを泥だらけにしながら登っていく。 その時突然、右手の茂みがガサゴソと動いた。少女はジャケットの内ポケットに手を突っ込みつつ、後ろに跳び退く。 彼女が一瞬前にいた空間を、2つの弾丸が撃ち抜いた。右と、左の木の上。一人ずつ、黒ずくめの男が姿を現す。 『リルタ!』 少女の反応は、フェイルの警告より早かった。 内ポケットから取り出した小さなスタナー(麻痺銃)をかまえると同時に、再び跳び退く。トリガーを引こうとしていた右の男は倒れ、上の男の銃弾はまたもや道路脇の地面をえぐる。 それを確認することもなく、リルタは無造作に、表情を変えずに残りの一人を撃つ。素早い技になす術なく撃たれ、男は落下した。 『お見事』 フェイルの賞賛を聞き流しながら、リルタは再び坂を登り始めた。 リルタは視界に、屋敷と同時に人の姿を捉えた。雨の叩きつける中、屋敷の前で待ちわびていたらしい。 彼女は並んだ顔ぶれを見渡した。そこにいたのは、老若男女、9人。なかには、父親らしい男性に抱かれた、6、7歳くらいの幼い少女の姿もある。 「話は聞いている。薬は、7つしかないそうだな」 研究所から連絡を受けていたらしく、年長らしい中年男性が苦々しげにことばをつむぐ。彼が屋敷の主らしい。 「こういう事態を招いた責任はわたしにある。わたしはいい」 男性がそう言うと、その妻らしい女性が息を飲む。同時に、スーツ姿の青年が声を上げた。 「しかし社長! あなたを失っては我々もお終いです。わたしはあきらめますから」 「まさか。きみのような将来有望な若者を死なせたとあれば、わたしの死に恥……」 その時、生へのキップを譲り合う男たちの後ろから、弱々しい声がかけられた。同僚らしい女性に肩を支えられ、真っ青な顔をした若い女性が歩み出る。 「わたし……もう、助からないから、お願い……みんなを……」 ガクリと首が落ちる。同僚が慌てて支えた。 リルタが脈を確かめる。それは、徐々に弱く、遅くなり―― 「わたしが残る」 リルタが振り返ると、視線が合った社長が重々しくうなずく。結論は出たようだった。 リルタは、薬を飲んだ7人を連れて岡を降りた。 『一体どういうことなんだろうね。これからどうする?』 研究所に寄らずにある公園に落ち着いたリルタは、フェイルの声にも上の空の様子で、ブランコをこいでいた。雨は弱まるどころかいっそう強く、街に叩きつける。 どこからか、落ち着き払った女性アナウンサーの声が流れてくる。 『続いてルロイツ社のウイルス流出事件の続報です。解毒薬が用意されましたが、確認された感染者のうち、8名が死亡するという大惨事になりました』 『リルタ?』 抑揚のない口調で、フェイル。 『ワクチンは7つだったよね? それで、一人は間に合わずに死亡した』 「……そうだよ」 『7人が助かったはずではないかね……?』 少女は答えなかった。 すべては、社長による陰謀だったのだ。 リルタはしばらくの沈黙の後、立ち上がる。 『どこへ……?』 「終わらせに行くんだよ」 と、リルタ。 「この夢を」 リルタは研究所に戻ってきた。すぐに、見覚えのある姿を見つける。 「ああ! お礼がまだでしたね。残念な結果になりましたが、約束の分は払います」 「そんなものはいらないんですよ」 曖昧な笑顔で対応に出るレイナに、リルタはぶっきらぼうに答える。 女性は顔色を変えた。 「あなたなんでしょう? この夢の主は」 リルタは容赦なくことばを突きつける。女性研究員は、観念したらしかった。 「そうよ、わたしよ。この夢で後悔を繰り返しているのは」 『きみは知っていたのかい?』 フェイルの問いは、陰謀を知っていて手を貸したのか、という意味だ。 「いいえ。でも同じよ。わたしは、社長が妻を……あの小さな女の子までを殺すのを手伝ったの」 「あなたは助けるつもりで薬を渡したんでしょう」 リルタの口調が和らいだ。フェイルも、元気づけるように声をかける。 『もう後悔を繰り返す必要はないよ。早く終わらせてしまおう。パスワードを教えてくれ』 レイナはパスワードを言った。フェイルは、正常に戻ったらこの事件を明らかにするために協力することを申し出る。レイナはまだ、ルロイツ社に縛りつけられているという。 「ありがとう……リルタ、フェイル。このこと、忘れないわ」 姿を消す直前、彼女は一滴だけ、涙をこぼした。 「あの人は、後悔に縛りつけられていたんだね」 P−ポッドのコントロール・パネルを開きながら、リルタはぼやいた。 『ずっと後悔し続けるなんてつらすぎる。しかし、そういった『縛りつけるもの』があるからこそ、『夢の中の夢』に捕らわれるんだろうね』 元の世界に戻りたくないと思わせる、それぞれの心の『縛りつけるもの』。それが夢を生み、その主を捕える。 リルタはポツリと言った。 「じゃあ、わたしたちは何に縛られているんだろうね?」 不意に、リルタは見回した。荒れ果てて、傷ついた世界を。 『……』 フェイルは答えなかった。 |
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