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閉ざされた空の彼方

「フェイル、次のポッドまではどれくらい?」
 見渡す限りのガレキの山に囲まれたまま、リルタは大きすぎるヘッドホンに声をかけた。辺りに他の人間の姿はなく、彼女が頼れるのは自分自身と、このヘッド・セットだけである。
『ああ。そのまま真っ直ぐ歩いていけば、後十分ほどでつくよ。ポッドは作動中だね』
 人の肉声とは微妙に異なった響きのある声が、少女の問いに答える。
 少女はほどけかけたヒモを取り、ジャケットとズボンのすそを折って、その上から結び直した。彼女の身に着ける物すべてがなぜか、小柄な本人のサイズより大きめに作られているように見える。
 リルタは漆黒の瞳で前方をにらんだ。ガレキを乗り越え、迂回し、多少なりとも足場のいい、ひび割れたアスファルトの上にたどり着く。
「十分って、直線距離じゃないよね?」
 うんざりしたような声に、相手は即座に反応した。
『もちろん、リルタの足の遅さは考慮しているよ。今までだってそうだっただろう』
 他人事のような口調に、リルタは溜め息を洩らす。まったく、自分は歩けもしないくせに……という調子でヘッドホンをにらむが、意味がないのですぐに止める。
 フェイル――FAL。惑星管理システム。今も、人々の生活のために機能している……はずだ。
 その副次的機能に、仮想現実体験プログラムがあった。P−ポッドで眠る人間がバーチャル・リアリティーを体験する……シミュレーションによる実験や学習の他、思い通りの夢を見るという、一種の娯楽としても利用されていた。
 娯楽――そのことばを思い浮かべ、リルタは苦笑する。一体、この状況のどこが娯楽だろう?
 ここは確かに夢の中だ。多くの人々の夢。制御を失った仮想現実。
『そろそろだね……ほら、あれだ』
 フェイルの声で我に返ると、リルタはガレキの向こうに、それだけは無傷な、鉛色に光るポッドを見つける。
 急いで駆け寄ろうとすると、フェイルが警告した。
『気をつけて、まだプログラムが作動している……』
 わかっているよ、と言いかけた瞬間、リルタは光に飲み込まれた。

 そこは、高層ビルのかなり上の階のようだった。なぜか前の一面には壁もガラスもなく、青空がのぞいている。風はなく、息苦しさも感じない。
 辺りを見回すと、部屋が円形であることがわかった。ビルというより、塔か。辺りは薄暗く、何人か人の姿があるが、こちらを見てはいない……それどころか、皆遠ざかっていくように見える。
『リルタ、あれ……』
 リルタは視線を戻した。いつの間にか、一人の少女が床の切れ目の前に立っている。今にも、何もない空中に足を踏み出しそうだ。
「待って!」
 リルタは走った。しかし、少女はその声に弾かれたように空へと跳ぶ。
 次の瞬間、少女の背中に翼が生えた。
 翼をはばたかせ、彼女は飛ぶ。より高く、雲ひとつない青空へ。
「どうなってるの?」
『ああ、彼女は飛びたかったんだね。自殺志願者じゃなくて良かった』
 フェイルのほっとした声を聞きながら、リルタは床の切れ目に歩み寄り、下をのぞいてみた。見覚えのある街並みが広がっている。
『リルタ?』
 リルタは一歩、また一歩と踏み出している。
『本気?』
「わたしだって、少しは楽しんでもいいはずだよ。プログラム自体はちゃんと作動してるんでしょ」
『だからって、危険……』
 フェイルの不安げな声を皆まで聞かず、リルタは飛んだ。

『まったく信じられないよ』
 フェイルのことばに苦笑しながら、リルタはポッドのコントロール・パネルを開き、『夢の中の夢』を停止させにかかる。間もなく、ポッドの中の人間が起きるだろう。
 ――しかし、しばらく待っても、ポッドには何の変化もなかった。
『おかしいね……』
「どうしたんだろう、開けちゃうよ?」
 ロックを解き、ポッドのハッチを開ける。リルタは慎重に、少し離れたところから中をのぞいた。
「……誰もいないよ」
『ははあ、そういうことか』
 フェイルが納得した調子で言い、リルタにも説明する。
『プログラムだけが有効になっていたんだな。一度読み取った記憶の世界を繰り返していたんだ。ここにいた人は、運良くギリギリのタイミングで逃れたんだろうね』
 それを聞きながら、バックパックから工具を取り出し、リルタは作業に取り掛かっている。ウイルスにより生成されたプログラムから、ポッドの制御をフェイルの管理下へ移行。
「……じゃあ、わたしの夢かもね」
 彼女はポツリ、とつぶやいた。
 しばらくの間、リルタもフェイルも無言。
 やがて、リルタの作業がすべて終了したと見て、フェイルが問う。
『リルタ、飛んだ時、どうだった?』
「……気持ちよかったよ。鳥の気分って、ああなんだろうね」
『でも、ホンモノがいい?』
「どうして?」
『確かに、あの時きみが望めばどこまででも飛べただろう。空の彼方へ、宇宙にまで……。でも、実際にはどこにも行っていないんだよ』
 フェイルの声は、どこか悲しげだった。リルタには、彼の言いたいことがわかる。
 リルタは苦笑し、言った。
「ここが現実じゃないってことが、そんなに悲しむべきことかな?」
『どういうことかな……?』
 バックパックを背負い直し、彼女はその場を離れる。
「大切なのは、現実か仮想現実かではなく、体験することのほうだと思うよ。もちろん、現実に帰りたいとは思うけど、あの時、確かにわたしは飛んでいたと思う。限界のある、閉ざされた空だとしても」
 フェイルはしばらく黙っていた。
 しかし、不意にヘッドホンから慌てた声を上げる。
『リルタ、次はそっちじゃないよ! まったく、わかってないんだから……』
 言われて、リルタは溜め息混じりに方向転換した。
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