FILE 01 青い大地の道化師たち(上)


 いつも通り両親への朝の連絡を終えた後、キサキは朝食をとり、アパートの五階にある自室を出た。街はいつも通り、整然とした様相を呈している。
 彼女は深呼吸して空気を吸い込むと、イヤリング型の小さなスピーカー兼マイクのスイッチを入れた。スイッチがオンになるなり、少しの間も置かず、聞き馴れた声が耳をなでる。
『おはよう、キサキ。今日もそちらはいい天気だね。ワシントンは曇りだけど』
「おはよう、シレール」
 これもいつも通り、挨拶を返す。
 シレールの本体は、アメリカのワシントンにある。惑星ゴート所属の宇宙船に搭載されたコンピュータが、その正体だ。キサキの両親はワシントンの国際宇宙貿易センターで働いており、その両親の計らいで、特別にシレールの端末を与えられている。今年一八歳の一人娘を日本に残しているのは、やはり心配なのだろう。
「何か変わったことはあった?」
 と、キサキは日課を続ける。彼女は、世界中のどこかであった『変わったこと』を、常に知っておきたい性分なのだ。
『ニューヨークのBSCシステムがほとんど完成したらしい。来週には開場予定だよ。あとは、リュースがいつも通り事件解決に貢献。ご両親も元気だし、地上は大したことはないね。ただ、上空ではまた海賊が出たそうだよ』
 海賊とは、宇宙海賊のことだ。キサキなどは、ついに地球周辺で宇宙海賊が確認される時代になったか、とおもしろがってさえいるのだが、実際の被害を考えると、そうおもしろがっていられるようなものではない。地球もゴードも、双方の貿易担当者は頭を痛めているに違いなかった。
 もっと身近なところでは、シレールにとって脅威だという事実がある。しかし、彼はしばらくゴートに戻る予定もないので、差し迫った危険でもない。
「地球防衛軍も整備されてきてるし、まあ、もう少しの辛抱だよ」
『共同防衛軍。わたしも開発に関わった人工知能搭載船が二機、投入されている。今は、基地の機能の整備がキューピッチで進められているよ』
 ことばを交わしながら、キサキはアパートの一階にあるガレージにおりた。そこに、彼女のエアカーが停められている。
 地球がゴートとのファースト・コンタクトを果たし、その進んだ技術を受け入れたのは、そう昔のことではない。わずか三年前だ。その三年の間に、地球人の生活は大きく変わった。とはいえ、その変化にも一定の速度の歩みがある。ガレージに停められた半数は、宙に浮くことのない自動車だ――外見はほとんど変わらないが。
 運転席に座るとIDカードを入れ、エンジンをかける。
『どこに行くつもり?』
 答えはもうわかっている、という調子に、キサキは苦笑した。
「風の吹くまま、気の向くまま」
 アクセルを踏む。そのまま、ガレージを飛び出して街並みの上空に舞い上がる。
 キサキは、ウィンドウを開けたまま飛ぶのが好きだ。風を感じる。
 彼女は、市の中心部に向かった。アーケードが見えたところで、その近くの駐車場に降下する。エアカー専用の駐車場は少なくとも現在はない。普通の自動車の駐車場と兼用だ。
『こんな朝早くには、ここでは普通じゃない人たちが活動していると言うよ、キサキ。浄化教の人たちとか』
 シレールの警告。
 浄化教は、この世界はもうすぐ滅びる、世界のバランスが崩れたために神がこの世界を滅ぼして創り直そうとしているのだ、という教義を唱える、新興宗教だ。世界が滅びる際にメシアが現われ、その人物を信じるものたちだけが救われるという。
「ああ、選民思想は大嫌いだよ。でも、おもしろそうじゃないか」
 エアカーからカードを抜き取り、アーケードに向かう。アーケードの入り口では、四人の男女がビラ配りをしていた。キサキはそれを受け取り、歩きながら眺める。それは浄化教の勧誘だった。
「人数が多いほど守護の力が強まり、生き残れる確率が増えるんだとさ」
『実際、信者は増えているようだよ。まったく、理解不能だね』
 朝早いため、行き交う姿は少ない。両脇に並ぶ店も、ほとんどシャッターが降りていた。そのシャッターの一つの前で、数人の少年がギターを鳴らし、歌っている。早朝出勤のサラリーマンを目当てにした路上ライブだ。しかし、皆急ぎ足で彼らの前を過ぎていく。
『売れない歌手のドサ回り?』
 同じく少年たちの前を過ぎていくキサキに、歌声を察知したのか、シレールが聞く。
「違うよ。歌手を目差している若者さ。わたしもたまに歌ってるよ、歌手志望じゃないけど」
『そうなの? 聞いたことがない。……わたしの分析では、今の歌声の評価はDだね』
「はいはい。厳しいな」
 ブラブラとアーケード街を歩いてみる。しかし、店もまだ開いておらず、キサキはここでヒマ潰しもできなそうだ、と気づいた。帰ろうか、と視線をめぐらせた時、隅におもしろそうなものを見つける。小さな机を前に座っているのは、いかにもそれらしい老人だ。
「占いか。いつかやってみたいと思っていたけど、機会がなかったんだ」
 嬉々として歩み寄ろうとするキサキだが、一方、シレールは否定的だった。
『一回一五〇円だって。お金の無駄遣いだよ。未来なんてわかるわけがない』
「わたしは、いつもおもしろい夢を見るんだけど、なかには現実になったものもたくさんあるよ。予知夢、とまでは言えないかもしれないが、正夢ってやつだね」
『キサキ、人間が毎晩どれくらい多くの夢を見ていると思う。その中で起きた時に覚えているのは、起きる直前に見た夢か、印象深い夢だ。多くの夢のなかに偶然未来と符合する夢があって、その内容は印象深いことだろうから、覚えている確率も高い』
「説明できるから、そんなことはないとは言い切れないよ。そうだ、シレールを占ってもらおう」
 ちょっと待って、なぜそんな――というシレールの声は、キサキには届かなかった。彼女は耳からイヤリングを外している。
「これ、誰でも占えるんですか?」
 キサキが近づくと、占い師は少し眠たげな顔を上げた。
「ああ、名前さえ占えればね。占ってみるかい?」
『本当にわたしを占ってみるつもり?』
 状況を察して、シレールは音量を上げた。キサキが手にしたイヤリングからの声に、占い師は眠気も飛んだ様子で目を丸くする。
「こりゃ驚いた。どなただね?」
『はじめまして、わたしはシレール。正式名称は、GOAT=101=SERAIL』
「いい、シレールでいい。何だかんだ言って乗り気じゃないか」
 占いは、タロット占いに似ていた。キサキはタロットの種類を知っているが、しかし、この占い師が持っているのは種類が多く、知らないものも多い。
 彼女がカードを眺めているのに気づき、占い師は説明する。
「これは、家に代々伝わる独自のカードだ。伝統あるものだぞ」
 言って、カードをそろえ、切り始める。キサキが興味津々見守るなか、老人はそのなかから六枚を取り、ピラミッド型に並べた。そして、それを裏返していく。
 まずは、ピラミッドの一番下の段の三枚。
「これが、一番近い未来だ。カードは<強奪者>と<大地>と<守護>だな」
「もしかして海賊?」
「ああ、だが守られるとあるから大丈夫」
『地上にいれば安全なんだ、良かった』
 シレールは先ほどの自分のことばはどこへやら、すっかり信じきったような調子である。占い師はその間に、二段目の二枚のカードをめくった。
 出てきたのは、<人々>と<飛翔>だ。
『人々が飛ぶの?』
「いや、きみの場合、人々を乗せて飛ぶ、だろう。さて、運命の瞬間だ」
 大地にとどまれば安全なのに、なぜ人々を乗せて飛ぶのだろう、と、キサキは考えた。しかしすぐに、最後の一枚をめくる占い師の手元に注目する。
 そのカードは、絵柄からしてどこか不気味だった。
「<落下>か……」
『ふ、不吉な』
 顔をしかめる占い師と、ギクリとした調子のシレール。
 キサキは思いついたように言った。
「人々を乗せて、落ちる」
『訳さなくていいから! まあ、わたしは信じないからね。そうだよ、当たるわけないよ』
「まったく調子のいい……」
 その時、悲鳴が聞こえた。
 キサキと占い師が振り返る。ビラ配りをしていた女性が倒れ、別の女性に抱えられていた。その額から、どんな色より目立つ鮮やかな赤が流れ出る。
 キサキは、建物の角に隠れていく黒い姿を見た。それを見るなり、彼女は何も言わずに走り出す。
『どうなってるの? ねえ!』
 アーケードを出て、左手側に走り去っていく、背の高い男の姿。男はもう、道路を渡りきっていた。横断歩道の信号は赤だ。道路の交通量は多い。
 彼女は、エアカーに戻っては間に合わないと判断した。
「全部エアカーか、シレールが見れたら良かったのに……」
『小型カメラを検討しておこう。救急車と警察を呼ぼうか?』
 お願い、と言ってアーケードに戻りながら、キサキは付け加えた。
「たぶん、無駄だろうけど」

 浄化教の信者が殺された事件は、その日の昼にはニュースで報道された。キサキも簡単な尋問を受けたが、数時間後に解放される。警察は彼女の証言をもとに、男の捜索を開始している。
 キサキは家には帰らず、エアカーのなかでコンビニで買った弁当を食べ、昼食を済ます。
『どこへ行くつもりなのかな』
 やはり答えはすでに知っているらしく、シレールはからかうような調子だ。
「情報管理センター」
 食べ終えた弁当の箱と割り箸をゴミ箱代わりのビニール袋に入れ、エンジンをかける。
 情報管理センターは、地球上のあらゆるシステムとつながっている。それを管理しているのはシレールだ。誰もがアクセスできるわけではなく、専用のIDを与えられているのは、大体が学者である。しかし、その専用のIDを、キサキも持っていた。さすがに両親の計らいだけではそこまでできるはずもなく、彼女の知り合いの大学教授によるところが大きい。彼はキサキの発想は科学の発展に有用だ、と主張した。
 それは、シレールも認めていることだった。キサキのような者が持つ好奇心とそれにより得ることになった雑学知識、奇抜な発想は、ようやく輸入された技術や知識に慣れようとしているこの地球文明に、新たな一歩の方向を示してくれるかもしれない。
 それは一種の賭けに等しいが、これ以上の発展を望むには必要だ。他に方法を思いつかなかった。惑星ゴートの文明レベルも、百数十年前からさして発展していないのである。
 そんなわけで、キサキにゴートと地球の文明をさらに発展させる糸口を見つけて欲しいシレールにとって、彼女がセンターに行くのは喜ぶべきことかもしれない。だが、キサキに学術論文を読む気などないのだ。彼女は探偵の真似事を好むのである。
『キサキ……たまには、別の用件でここを訪れて欲しいね』
 駐車場にエアカーを停め、キサキはセンターの無人の受付でカードの照合を終えた。ドーム状の建物内は静かで、見かける人影は多くて十人だ。
「せっかく学校が休みだってのに、勉強でもしろって? 森沢教授もきみも、たいした期待はしてないだろう」
『期待してるよ。わたしが知っている中で一番常識外れな発想をすると思う』
 ブースの席に腰を下ろし、ここでもIDカードを使う。眠っていたシステムが機動する。モニターに灯が入り、<中央管理システムに接続しています>と表示される。中央管理システムとは、何のことはない、シレールのことだ。
『ブレイクスルーを期待しているんだよ、きみに』
 イヤリングではなく、ブースの壁のスピーカーから、シレールの声。当然それぞれのブースは完全防音加工だ。
「今は、わたしの優秀な発想とやらをあの男を突き止めるのに使いたいところだね。警察に言った通り、銃は持っていないように見えた」
『……しかたがない。黒の革ジャンを着ていたと言ったね。隠しているのかもしれないよ』
 シレールはあきらめたように言う。
「隠せる大きさの銃かどうか、調べてみようじゃないか。銃弾の鑑識が終ってるはずだ。市警のシステム接続しよう」
『ああ、本当は違法なんだけどね……』
 文句を言いながらも、セキュリティを解除して鑑識のデータにアクセスする。記録には、シレール自身の希望によるアクセスとでも残しておくのだろう。
 彼はデータをディスプレイに出力した。文字列の一つに手を加え、該当箇所を反転させている。
「ライフルだって。どうなってるんだ、一体」
『そんなもの持っていたらすぐにわかる。しかし、何も持っていなかったら、撃てるはずがない。犯人は別にいたのかな?』
「周囲にいた他の信者たちか? そうは思えないが」
 あの男以外に撃てる人間がいたとしたら、それは三人の浄化教信者だ。しかし、他の仲間に見られずに撃つことは不可能だから、その場合、三人とも被害者を殺す計画を知っていたことになる。
「動機がわからない……シレール、リュースは出せる?」
『ああ』
 リュースは、エアカーに搭載された、犯罪捜査のために開発されたシステムだ。キサキは、その道のプロに助けを求めたわけである。
『どうぞ』
 ピッ、と小さな音が鳴った。シレールはスピーカーの半分をリュースに明け渡した。
『こんにちは、キサキ。話はシレールから聞きました。わたしに、犯罪捜査の講座をお求めですか?』
 シレールのものとは違う合成音声がブースに流れた。
「ああ、犯人の目的も、動機も、行方も、どうやって犯行を行ったのかもわからないんじゃ、お手上げだよ」
『たぶん、警察がもうやっているでしょうが……』
 と、前置きして、リュースは指摘した。
 アーケードの天井に穴は開いていないだろうか。どこか、ライフルを捨てられる瞬間はなかったか。あるいは、証拠を持ち運べるように分解する方法はないか。
「分解したにしても、その重量を持ってあの速さで走れるとは思えないよ」
『そうやって、可能性を潰していくんです』
 リュースは満足そうに言った。
『ただ、警察もそうですが、被害者が浄化教信者であるということにこだわりすぎている気がします。他に原因があるかもしれません』
 キサキは、犯人にこだわって、被害者については何も調べていないことに気がついた。
「ありがとう、リュース、助かったよ」
『どういたしまして』
「シレール、被害者の情報。それとライフルで現場を狙える場所を計算してすべて特定して。もう一度現場を見てみよう、立ち入り禁止になってるだろうけど、上空から見るくらい大丈夫」
 シレールは言われた通りのことをこなし、その結果をプリントアウトした。それを取って、キサキはIDカードをスロットから抜き、ブースを出る。
 彼女はエアカーに乗り込み、情報センターを後にした。


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