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終われる刻の神話(上)

「これが、最後の……」
 荒涼とした光景を背後にして、小柄な少女がつぶやいた。
 彼女の体格にしてはやや大き過ぎるリュックサックを背負い、ヘッドホンを頭につけた彼女は、今、鈍い銀色に輝く、全長数メートルほどのポッドを目の前にしている。じっとそれを見つめながらも、5メートル以上の間を取ったまま、近づこうとしない。
『いよいよだね、リルタ』
 少女の鼓膜に、人のものとは違う響きを帯びた声が触れる。
『これで、すべてのポッドの確認が終わる。覚悟はいい?』
「ああ。そういうフェイルはどうなの?」
 リルタ、と名を呼ばれた少女は、相手に問い返した。
 フェイル――FAL。惑星上に住まう人々の生活に関わる機能を統制する、大規模分散型コンピュータ群。この仮想現実とそれを創りだすシステムも、その機能のうちのひとつだ。人々は研究や勉強に、通信に、娯楽に、その他色々な目的で、この夢のような仮装の世界を利用し、楽しんでいた――この世界がウイルスに侵され始めるまでは。
 しかし、異状が発生し、夢の中の夢に取り残された者も、あと1人だ。その最後の1人を夢から切り離し、現実世界に戻しさえすれば、あとはワクチンを散布することができる。
『もう、ウイルスの創りだしたプログラム全体もだいぶ弱っているはずだ。このポッドの領域を取り戻しさえすれば、連中の領域は零に近くなる。ただ、連中も最後の砦として、攻撃を仕掛けてくるかもしれないし……』
「油断できないね」
 言って、少女は大きく息を吐く。
「こうしていても仕方がない……行くか」
 リルタは、一歩、大きく前進した。
 最後のポッドに向かって。

 夢の中の夢――バーチャル・リアリティ利用者が作り上げた仮想世界。それは大抵、当人の願望を映したものや、仕事や勉強に必要な機能を満たすものだった。
 しかし、最後の利用者が創りあげた世界は、そのどちらでもない。
『ここは……本当に夢の中の夢?』
 一面が、黒のみに染め上げられていた。黒一色だけのなかに、リルタは立っている。どうやら、地面はあるらしい。
「何かのトラブルとか、ウイルスがつくりだした空間って可能性もあるってこと?」
『わからない。もしこのまま、この状態が続くようなら……』
 フェイルが言いかけた途端に、景色が一変した。
 木造の、暖かな家の廊下。調度品はセンスが良く、かわいらしい白の陶器に入った、小さな無数のピンクの花をつけた植物が、甘い香りをかもし出す。
 リルタは、その花に顔を近づけてみた。花瓶にさされた花は、彼女の知識には存在しないものだ。
『この花は……いくつかの一般的な観葉植物に似ているけど、実在しないものだ。夢の主が創りだしたものだろうね』
「わざわざ花を創りだすなんて、こだわりでもあるんだろうか」
『あるいは、花に関わる仕事……それとも、映像関係やデザイン関係の人か』
 廊下の突き当りには、ドアがあった。ドアの向こうから、静かな泣き声が聞こえてくる。その反対側は、長い長い廊下だけしかない。
「誘われている気がする」
 言って、だぶだぶのジャケットの内ポケットに右手を入れる。彼女の意思に従って、その精神の一部とも言えるリヴォルバーが、ホルスターごと収まっていた。
 その感触を確かめ、彼女は、左手をドアノブにかける。
『気をつけて』
 フェイルのことばにうなずきながら、ドアを引き開ける
 ベッドに机と椅子、本棚などの、何の変哲も無い調度品。窓にはカーテンが引かれ、外はどうやら、夜闇に閉ざされているらしい。
 その窓の方向を向いて、リルタよりいくつか年下くらいの少女が一人、ベッドに腰掛けていた。長い金髪が、滑らかに腰まで流されている。
「誰? あなたは?」
 振り返った少女の目は、閉ざされていた。リルタは足を止め、内ポケットに入れたままの右手を下げる。
「ノックもせずに、失礼。わたしはリルタ。きみは?」
 警戒していた少女が、頬を伝う涙を拭い、少しだけ、肩の力を抜いた。
「あたし、リメル。ねえ、世界はどうなっちゃったの? しばらく前から、フェイルとも連絡が取れなくなって」
『すまないね、リメル』
 リルタのヘッドセッドの外部スピーカーから、フェイルが声をかける。聞き覚えのある声に、少女は驚いたように顔を上げた。
『ウイルスの侵入により、事故が発生したんだ。このままここにいるのは危険だから、一旦戻ったほうがいい』
「いいけど……事故?」
 リメルは、目を閉じたままの顔を不安に曇らせる。
「戻ったら、いつまた、ここに来れるの? あたし……また、世界を見たい。闇の中に取り残されるのは嫌。ここなら、お父さんも優しくしてくれる……」
『彼女は、視力を失ってから日が浅いんだ。それに、今はご両親とも離ればなれでね』
 リルタのヘッドホンを使い、フェイルが説明する。
 現実世界で光を失っても、仮想現実でなら、直接脳に映像を送ることができる。見えないはず、そしてそばにいないはずの家族や友だちの顔も、家の中も、フェイルがセンサーで感知した現実世界の情報や記録媒体の内容を元に再生し、少女をその中に置くことができる。
 少女リメルは、その、光あるもうひとつの現実を失うことを恐れた。
「リメル。放っておけば、ここも闇に閉ざされるんだよ」
 リルタは優しく言い、少女の肩に手を置く。現実的な感触に、リメルは小さく震えた。
「現実世界じゃ、きみはいつかは家族に触れることができるだろう。友だちや周りの人の手のぬくもりを感じることもできる。声も聞ける。でも、この世界はもうすぐ、凍りつく。それに巻き込まれれば、きみも終わってしまうよ」
『大丈夫。バーチャル・リアリティ・システムも、ずっと使えなくなるわけじゃない。すぐに直せるから』
 畳み掛けるように言われて、少女は、小さくうなずいた。
「でも……お姉ちゃんは、残って大丈夫なの?」
 心配そうにきかれて、リルタは、嬉しそうにほほ笑む。
「すぐにあとを追うから、大丈夫。元の世界に戻ったら、会いに行くよ」
「きっとだよ」
 愛らしいほほ笑みを浮かべて、少女はリルタの手を取る。
『では、いくよ』
 伝えられたパスワードを使い、惑星管理AIは扉を開く。
 間もなく、金髪の少女ごと、夢の中の夢は崩れていった。

 ふう、と、少女が息を吐き出す。
 周囲に広がるのは、荒れ果てた世界。荒野に埋もれた建物の一部が顔を出し、赤黒い空が不気味にうごめく。そんな中、完璧なフォルムを露出しているのは、上部を開いた、鈍く光るポッドのみ。
「これで最後か」
『最後まで、気を抜かずにね』
「ああ、わかってるよ」
 妙な感慨を抱きながら、リルタはポッドに近づき、パネルを開いてコードを打ち込む。最後のポッドの領域を確保する。
 作業が終わるとポッドが淡く輝き始め、彼女は一歩、後退った。
 その眼前からポッドが消えうせ、何か白いものが、ヒラヒラと宙を舞う。
 驚きで一瞬身を硬直させたリルタは、その白いものを空中でつかみ、広げてみた。正方形の紙の真ん中に印字された縦書きの文字列は、シンプルなメッセージを示唆している。
〈そのまま北に向かえ〉
「北……? 方位なんてあるのか」
『ああ、一応、あるにはある。今、リルタが見ている方向だよ』
 困惑を隠さないフェイルの声に従い、リルタは顔を上げた。
 それに呼応したかのように、景色の一部が変化する。彼女の視線の先に、何本もの灰色の四角柱が突き出し始め、その全貌を露出してから動きを止めた。近代的な建物の並ぶ、摩天楼。
 茫然とみつめる彼女の、数百メートル先に、都市の一部を切り取ったような空間が出現している。
『まだ夢は終っていないのか……?』
 フェイルの声も、驚きと不安にかすれたような調子だった。
 これがまだ夢の中の夢なら、リメルとそれに関するフェイルの記憶は、偽ということになる。その記憶が真なら、今の仮想現実はウイルスが創りあげたものであり、都市はその中枢である可能性が高い――と、リルタは思った。
 そして、おそらくフェイルも同じ考えだろう。
「行くしかなさそうだね」
 黙り込んでいる惑星管理システムをよそに、少女は決意を込めて言い、足を踏み出す。灰色の摩天楼へ。
 生身の人間の精神を、ウイルスの牙城へ放り込んでいいのだろうか。電子頭脳は迷う。
 いいわけがない。答は出ていた。だが、答を得たところで何になるというのか? 夢は終らず、終らせなければ、結局ウイルスに牛耳られるだけだというのに。
「止めても無駄だよ」
 先手を打ったように言い、少女は笑う。
 彼女の言う通りだ、とフェイルは思う。今の彼には、リルタの歩みを止めるような力はない。ことばで止めようとして止まるような相手ではなかった。
『無謀だね』
 あきれたような声に、少女はさらに苦笑した。
「座して死を待つより、自分から危険に突っ込んでくほうが性にあってるんだ。何事も、先制攻撃が有利でしょ」
『待っていて状況が良くなることもある』
「悪くなることもね」
 ことばを交わしながら、少女は、しっかりした足取りで前進を続けた。

 街は、見覚えのある景色を呈していた。整った道路に、機能的な建物の並び。脇に植えられた緑の木が景色と調和していれば、なお、リルタの記憶している通りだっただろう。だが、彼女が今目にしている木々は、枯れ果てて今にも倒れそうだった。
「これは……前回の」
『ああ。前の夢の中と同じだ。カリンのシミュレーション』
 フェイルと違い、リルタにはもうひとつ、現実世界に似た都市を歩いた記憶がある。否、似た世界ではなく、現実そのものだったかもしれない、夢の中の夢の記憶。
 あれが本当に現実だったのかそうでないのか、未だにわからない。しかし、彼女は考えても仕方のないことは考えないようにしていた。
「どこへ行ったら決着をつけられると思う?」
 通りを真っ直ぐ歩きながら、小声でマイクに声をかける。その右手は、すでに内ポケットから、リヴォルバー型ピストルを抜き取っていた。
『そのまま、真っ直ぐ』
「やっぱりね」
 彼女の行く手に、摩天楼の中でも一番高い建物がそびえ立つ。惑星管理局の、塔のような建物が。
「何が待っているのか、お楽しみだ……」
 本来なら、惑星政府のスタッフたちが働いており、そしてフェイルの本体があるはずの場所。
 迎え入れるように左右に開いた自動ドアをくぐり、静寂が支配する内部へ、リルタは足を踏み入れた。照明が非常灯のみで、ロビーは淡いオレンジ色に染まっている。受付の向こうにも、テーブルとソファーの並ぶ辺りにも、人の姿はない。
 奥のワープゲートが並ぶ方向へ進もうとした少女の耳に、低い、ブーンというかすかな稼動音が届いた。
『リルタ、インフォメーションコーナーだ』
 フェイルが注意を促す。主に建物内を案内する目的で使われる端末のモニター画面に、灯が入っていた。リルタは油断なく、横から歩み寄って画面をのぞき込む。
〈覚醒まで、あと12日〉
 青い背景に白い文字で、短い文字列が浮き上がっている。画面右下には、情報の続きを示す、三角形のカーソルが明滅していた。
『覚醒……? 何のことだろう』
「見てみるしかないんじゃないか」
 言って、左手の人さし指でキーを押す。すると、今度は長文が展開された。
〈UD132年5月31日、冷凍睡眠入眠者589221名。以後、システム安定、脱落者なし。設定覚醒年月日は入眠年月日より200年後。すべて異常なし〉
「冷凍睡眠……?」
 リルタは眉をひそめ、以後に書かれているシステムの仕様を眺める。その中で、ある一列が目に留まった。
〈脳内幻影投影装置を使用。幻影動作には当人の希望を記録したカプセルの他、AIにより合成した乱数シナリオを使用。精神レベルは常に監視しており、幻影による影響は安全領域に抑えられている〉
「幻影って……仮想現実?」
 これも夢の中の夢の一部に過ぎないと思いながらも、かすかな不安が少女の胸に湧きあがってくる。
 身を引く彼女の前で、モニター内の映像が、自動的に切り替わった。
 冷凍睡眠中に利用する、幻影投影装置。そのことばに、リルタは記憶の中のある装置を思い出していた。
 冷凍睡眠、という名ではあるが、リルタが知る一般的な装置は、実際に全身を凍らせるものではなかった。遠くの星へ向かう宇宙船などに設置されているそれは、カプセルのなかで眠ることで老化を零に近いほど緩やかにする装置である。
 冷凍睡眠は、入眠中の当人に時間を感じさせない。しかし、あまりに睡眠の時間が長い場合、脳の機能の一部も長時間使われないことになる。機能の監視と準備運動を兼ねて、操作された夢を脳に投影するのも、FALが管理する仮想現実制御システムの機能の一部として利用されていた。
『現在……長期の冷凍睡眠に入っている者はいないはずだ』
 冷凍睡眠で眠っている者が夢の主ではないかという少女の疑惑を、惑星管理システムが否定する。
『もっとも、わたしの記憶も完全には信用できない。もし……』
「もし?」
 リルタのことばに、フェイルは答えない。
 答を促そうと、少女が口を開きかけたとき、突然端末の画面が切り替わる。それに目を落として、彼女は目を細める。
「〈最上階で待つ〉……?」
『どうやら、歓迎してくれるみたいだね』
 リルタは銃を握りなおし、ワープゲートを振り返る。ゲートの稼働中を示すランプは、消えたままだ。
 そこから視線をずらすと、応えるように、隅にあるエレベータのドアが開く。
『どこまでも親切なお出迎えですこと』
「まったくだ」
 周囲を見回し、慎重に歩み寄ると、誰も乗っていないエレベータの中に入る。自動的にドアが閉じ、白い内装の宙吊りの箱が、最上階に向けて昇り始めた。
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