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2人の王国

 騒がしい、耳障りな音が、家の外まで響いた。それに、若い女の悲鳴にも似た怒声が重なる。
「帰ってよ! あんたなんか必要ないのよ!」
 ガシャン、ガシャンという、食器のような物が割れる音が続く。ドタドタ、ゴツッ、と、走り回る音や、何かがぶつかる音も。
「嘘言え! お前にはオレが必要なんだよ! いいから言う通りにしろ!」
 男の声が、必死の調子で女の声に言い返した。女は、さらに激しい剣幕で怒鳴る。
「誰があんたなんかを! とっとと消えなさい! 出て行ってよ!」
 バチン、と、景気のいい音が響く。
 それを最後に、騒がしい音は止まった。静かな中、かすかに震えるような声が聞こえる。
「……わかったよ……出てけばいいんだろ! 出てくよ……一生ここでうじうじしてろ!」
 そう言い残し、一方の声の主らしい男が、家を出る。玄関から飛び出したところで、その若い男は、1人の少女と出会った。今までのやり取りを聞いていたらしいその少女の、小柄な姿を認めるなり、彼は驚きに口をあんぐり開けてぼやく。
「馬鹿な……ここにはオレたちしかいないはずなのに」
「……ここにはあなたたちしかいないんですか?」
 小さな身体に似合わない大きなヘッドホンを着けた少女は、不思議そうにきいた。
「ああ、ここにあるのはこれだけさ。ここにいるのも2人だけ」
 彼は辺りを見回した。つられて少女も見回す。
 ある、森の中。優しい木漏れ日が照らすのは、一軒の家だけだ。2階建てで、庭がある。庭には花壇と、何かを育てているらしい、小さな畑、それに井戸と木でできたベンチがある。木の枝を利用した物干し竿では、真っ白なシーツが涼しげに揺れていた。
 一見幸せな夫婦の邸宅という感じだが……。
「きみは、この夢にいないはずだな? 部外者が入れるはずはない……フェイルの関係者か?」
「そんなところです。リルタといいます」
 男のことばに、少女はうなずいた。
 ここは、元は惑星管理システムFALの機能のひとつによって作り出された仮想現実だった。それが、ウイルスの侵入により仮想現実システムは狂い――夢の中の夢を作り出す。ここも、仮想現実で誰かが見ている夢なのだ。
「ここにいると、いずれ精神崩壊を起こすかもしれない。フェイルにパスワードを言って、目覚めることをお勧めします」
「それなら、彼女に言ってくれ。彼女は帰りたくないそうだ」
 肩をすくめ、投げやりに言うと、彼はリルタの横を抜けて歩き出す。
「どこへ……?」
「散歩さ、この世界はそう広くないからな」
 苦笑して、木と木の間に背中を隠していく。
 それを見送ると、リルタはふに落ちない気分で、ヘッドホンに声をかけた。
「フェイル、どういうことだい?」
『こっちが聞きたいよ……2人が同意しないと帰れないって、夢を見ているのは、1人のはずだよ?』
「同じ夢を見ている恋人同士とか、夫婦じゃないんだ」
『それは可能だが、この状況で2人をつなぐチャンネルが生きているとは思わない。どちらかが夢の主のはずだ』
 では、やはり女性のほうか。リルタは家の玄関を振り向いた。
「行くか……」
『気をつけて』
 先ほどの女性の剣幕を思い出しながら、少女はチャイムのボタンを押した。

「ごめんなさいね、こんな散らかった場所で」
 ホウキとちり取りを手に、慌てて床に散らばった食器の破片を片付けながら、彼女は恥かしげに言った。
 彼女は、想像以上に若かった。外見上はリルタより2つ3つ年上――大体、17、8歳くらいだろうか。その名を、メーニアと言った。
「あなたが、この夢の主なんでしょう? なぜ、帰りたくないんですか?」
 出されたハーブティーにも口をつけず、リルタは事務的なほどに、単刀直入に問う。
 女性は手を止め、顔を上げる。
「ええ……私がこの夢を見ているの。ここにいる時は、アイツから離れられるから」
「アイツ……彼ですか?」
「そうよ。もううんざりなの。悪い奴じゃないけど、年がら年中一緒だなんて」
 深刻そうなため息を洩らし、ゴミ箱のなかに食器のカケラを流し込む。
 疑問の沈黙を続けるリルタに変わり、ヘッドホンに付けられた小さなスピーカーから、フェイルがことばをはさんだ。
『それなら、警察に行ったほうがいいよ。何とかなるはずだよ』
 しかし、メーニアは苦笑し、首を振る。
「それで解決する問題じゃないの。ストーカーってわけじゃないし……」
 彼女のことばに、リルタだけでなく、フェイルも沈黙した。ますますどういうことなのかわからない。
 自分で入れたハーブティーをすすり、メーニアもまた、ことばを口にすることなく、溜め息を洩らした。
 しかし、静寂のなかに突然、悲鳴が割り込む。聞き覚えのある声。
 メーニアがギョッとしたように顔を上げた。リルタは弾かれたように立ち上がり、走り出す。少し遅れて、メーニアもあとを追った。
 玄関を出て、庭に向かう。小さな畑の向こうに、彼の姿はあった。
 ぼやけたような、モザイクがかかったような姿。
「頼む、助けてくれっ! 死にたくない……!」
 常に彩りが変化するモザイクの向こうから、彼は形が曖昧に変化しかけた手を差し出す。
 その手を取ろうと走り寄りかけたメーニアを、フェイルが止めた。
『よせ! あれは情報の崩壊のしるしだ、触れると精神崩壊を起こすぞ』
「でも!」
「崩壊を止める方法は?」
 リルタは、ジャケットの裏ポケットからレーザーガンを取り出してかまえていた。しかし、この状況ではどうしようもない。
『情報を分離できれば……しかし、危険だし、助かっても不完全……』
 その声を聞きながら、すでに少女は走り出していた。その手に、平たい、光の剣のような物が生まれる。それは、彼女が創り出す、一種の夢のカケラ。
 横に回り、それを振り下ろす。すると、モザイクの一部が消えた。
 メーニアが必死の表情でそばに来ている。彼女は、前よりいく分はっきりした手に、自らの手を伸ばした。
「さあ、早く!」
 男の手が、わずかに動く。
 しかし、彼はメーニアの目を見、ほほ笑むと、言った。
「こうなるほうが、きみのためにはいいだろうな……」
「そんなこと……!」
 メーニアの目が、驚愕に見開かれる。
 モザイクが、再び男を侵食し始めた。リルタが再び光の剣を振るが、モザイクは一気に増殖し、彼の姿を飲み込む。
『どうして……』
 茫然と座り込むメーニアの気持ちを、フェイルが代弁した。

 この夢はウイルスに喰らわれ、崩壊しかけていた。早く終わらせなければ、メーニアもリルタも、あの男の二の舞になるだろう。
「半身を失った気分よ……」
 フェイルにパスワードを告げた後、メーニアはポツリとそう言った。
「でも、彼は一体、誰だったんです?」
 庭先でモザイクに包まれていく木々を見ながら、リルタは疑問を口にした。結局、わからないままだったのだ。
 ふっと苦笑し、メーニアは質問に応じる。意識が現実世界に戻っていくのを感じながら。
「彼は、私自身であり、私の半身。私の身体の、もうひとつの人格よ」
 『夢の中の夢』夢は終わり、彼女は現実に帰った。リルタは1人、『夢』である荒れ果てた荒野に立つ。おそらく今はもう誰もなかに横たわっていないであろう、P−ポッドのすぐそばに。
『二重人格か……。これで、彼女は救われたのかな?』
 フェイルのむなしげな声を聞きながら、リルタはリュックを下ろし、必要な器具を手に、ポッドの制御権移行作業に入る。
 ウイルスプログラムから、フェイルへ。制御権を確保すると、フェイルは簡単に、その一角のウイルスを削除する。
『遅すぎた……』
「これが、私たちの精一杯だよ』
 作業が終わると、少女はリュックを背負い直す。
「地道にやるしかないんだ。精一杯以上のことはできないんだから、せめて、いつも精一杯のことをやる。それしかない」
 赤く不気味な空をにらみ、ポッドを離れ、歩き出す。
 その行く手にはただ、植物も枯れはてた病んだ大地と、かつては建物だったらしいガレキの海だけが広がっている――。
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