うたえ☆七高合唱部!(投稿者S氏)



 世間には、「神は二物を与えない」なんて嘆く奴が多いが、それよりもっとタチの悪い状況を俺は知っている。
 俺はそこそこ裕福な家庭の1人息子として、容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群という多いに恵まれた人間として生まれた。それなのに。

「……やっだー、あたし用事あるんだった、忘れてたっ」
「アタシもー」
「じゃあね輝明クン」
 適当に理由をつけた女生徒たちが退室し、俺1人が個室にぽつねんと取り残された。
 俺の手にはマイク。目の前のテレビ画面に表示されているのは「32点」という数字。

 そう、俺は。


「 ど う せ 俺 は 音 痴 だ あ あ あ あ あ あ あ あ っ」


 俺の叫び声が、マイクを通してわんわん部屋に響いた。





「カンナ、腹を使え腹を!」
「ぎゃふう!」
 腹に蹴りを食らわされた俺は、口から液体を流しながらうずくまった。

 俺の名前は鉄穴輝明―カンナ テルアキ―。県立第七高校の2年生だ。学校で、俺はいわゆる「完璧」な人間として名が通っていた。その俺がこの「第七高校合唱部」の門を叩いたのが1週間前。既に辞めたいの4文字が頭をかすめている。辞めたい理由の大半は『この女』に関することだ。

 俺に蹴りを入れた女は、何故か手に木刀を持って睨みをきかせていた。今時教師でもそんな物騒なモノは持たんだろうに。
「腹式呼吸も出来んようでは使い物にならん。即刻習得しろ」
「せ、先輩、ちょっと休憩を……」
「15分前にとっただろうが」
 そう言い捨てて、いたいけな俺に針のような視線を向けるこの女がこの部のドン、朝川部長だった。わりと器量良しの癖に中身はまるでヤクザだ。朝川の「あ」は「悪魔」の「あ」だ。間違いない。

「鉄穴クン、腹筋も大事だけど背筋も大事なのヨ、こっちも使ってネ」
 部長の視線に気をとられて侵入を許した背後から、俺の腰にねっとりと腕を絡める者が居る。可愛い女の子なら許そうものだが……。
「小柴!ひっつくな!」
「いやん、鉄穴クンたら照れ屋っ」
「黙れオカマ!」
 こいつは俺と同い年の小柴(♂)。中性的な顔立ちだとは思っていたが、まさか本当にそっち側の人間だったとは。ってケツ触るなケツ。

「鉄穴、合唱はスポーツだ。まずは鍛えることから始めろ」
 小柴を引き剥がそうとしている俺の前に、今度はダンベルを持った男子生徒が立ちはだかる。これは大久保先輩。どう足掻けどボディビルダーにしか見えんが、一応音楽畑の人だ。

「先輩は鍛えすぎですー」
「筋肉には柔軟性も必要なのですー」
「む、そうか?」
 ピーチクパーチクと現れたのは1年生の双子、二宮姉妹だった。双子なのに姉はソプラノで妹はアルトなのだそうだ。
「カンナは貧弱なのですー」
「肉食えですー」
 そして五月蝿い。あと敬語使え。


 さて。
 驚くことに。そして悲しむべきことに。
 部員は以上5名+俺だけなのだ。

 正直個性が強すぎてついていけない。辞めたい理由の残りはこの濃い面子だ。これに比べれば練習の厳しさなんてとるに足らん。



「カンナ、音が違う」
「す、すいません」
「もっと大きな声で!」
「すすすいません!」
 朝川部長の木刀が俺の目の前に迫る。そんなにピアノの鍵盤をガッツンガッツン叩くな、どうせ俺には分からないんだから。
「あと腹使え。殴られてると思うほど使えつるほど使え死に物狂いで使え」
「は、はいいい!」

 俺は、心の中で部長を睨みつけた。
 あんな偉そうに指図しておきながら、何故か部長は一切皆と一緒に歌わないのである。聞けば、彼女はコンクール本番でも歌わないのだそうだ。納得がいかない。


 部長が練習を再開しようとした瞬間、音楽室の天井になぜかとりつけられている非常灯がぐるぐる回り、サイレンが鳴り始めた。

『第2校舎3階にて喧嘩発生!合唱部、緊急出動!』
「「「「「ラジャー!」」」」」
「じゃー……」
 放送を聴いた部員たちが、敬礼をして制服を脱ぎ始めた。俺は荷物置き場にのっそりと向かって同じく着替えを始める。
 部員たちは、ものの10秒ほどで制服を脱ぎ終わり、ピッチピチの全身タイツ姿になった。そこに口のところだけ大きく開いたマスクを被る。蛍光色で目がやられそうだ。

 着替え終わった俺が皆のところへ戻ると、木刀で殴られた。ていうか部長は制服のままかよ。
「カンナ、常にスーツは制服の下に着ておけと言っただろうが!」
 嫌です、ムチムチするから。
「まあいい、急ぐぞ!」
 出来れば急ぎたくない。だが従わないわけにもいかず、俺はのろのろと皆の後ろに続いた。



 第2校舎へ行くと、いかにもガラの悪そうな生徒たちが派手に喧嘩をしていた。うわ、窓ガラス割れてるし。
 俺が近づきたくないと思っているすぐそばから、大久保先輩が大声を上げた。

「 そ の 喧 嘩 待 っ た ァ ァ ァ ! 」

 不良生徒たちが一斉にこちらを向く。いや、頼むから見てくれるな。

「お前らは……」
 彼らが何か言いかける前に、大久保先輩を筆頭に何故か決め台詞が飛び交いだした。勿論ポーズ付きだ。

「コーラスレッドォォ!」
「コーラスピンクッ!」
「コーラスピンクー!」
「コーラスピンクー!」

 うん、ピンク多すぎ。
 
「……こーらすたまごいろー」

 俺はへなちょこにポーズをとる。うん、間違ってない。台詞が平仮名なのも俺のスーツもとい全身タイツがタマゴ色なのも、だ。


「「「「「5人合わせて、合唱戦隊歌うンジャー!!!」」」」」


 ギャラリーからまばらな拍手が起こる。
 今すぐ宇宙の塵になりたい。

 そして朝川部長がピッチパイプを鳴らした。ピッチパイプってのは音を取るための笛みたいな道具のことだ。

「喧嘩はー♪」
「喧嘩はー♪」
「喧嘩はー♪」
「けンかうぁァー」
 やっべ音外した。
「「「「いけませんー♪」」」」

 うん、無駄にハーモニーは完璧だ。もちろん俺さえいなければの話だが。あの面子なのに、コンクールで1位通過の強豪なのだから不思議だ。人数合わせのためにオケ部あたりから人を集めてくるのが常らしいが、規定さえなければ間違いなく現コーラス部員のみでも通用するだろう。だからこそ俺はここに入部したのだ。

 さて、当の喧嘩をしていた奴らはすっかり毒気を抜かれて、やる気なさげにその場を去っていった。そう、これが俺たちの仕事。校内の争いごとを歌で解決するのだ。何で解決出来るのか俺には未だに分からない。大丈夫かうちの高校。



 やはりまばらな拍手に見送られて音楽室に戻ると、俺は急に身体が重力に逆らうのを感じた。そして気がつくと床を舐める体勢。そう、朝川部長の蹴りで吹っ飛んだのだ。

「カンナ、貴様やる気はあるのか」
 睨まれる。
 だが、この部に入って1週間。俺はそろそろ我慢の限界が来ていた。
「……やる気? はン、あるわけないじゃねえか」
「なんだと?」
「もううんざりなんだよ、色々とな」

 俺の態度に、他の部員がざわつき始めた。

「あ、あれかしら、やっぱりタマゴ色がまずかったとか?」
「ダメよーもうピンクはー」
「コシバが譲りなさいよー」
「い、いやよっ」
「五月蝿い!」

 ありったけの声で空気を鳴らす。教室がしん……、と静まりかえった。

「大体部長が歌わねえなんて論外だろ」
「おい、鉄穴……」
「辞めてやるよ、こんな部!」
 俺はタイツの上から学ランを羽織ると、荷物を抱えて教室を出た。
 廊下に出ると、後ろから声がかかった。大久保先輩だった。

「辞めるのか?」
「はい、お世話になりました。退部届とスーツは後日」

 先輩は、何も言わなかった。
 俺は、体に染みついた彼らのハーモニーを背に階段を下りた。





 俺が練習に行かなくなって3日後、退部届を出しに音楽室へ足を運んだ。俺は音楽の授業をとっていないのでこことはこれでオサラバだ。

 ふと。
 靴を脱いでいた俺の上を、美しい声がかすめる。
 誰かが、歌っている?

 俺がそっと音楽室へ足を踏み入れると、そこには思いがけない人物がいた。

「朝川……先輩?」

 まるで舞う様にのびのびと歌っていた部長は、俺が無意識に発した声に反応してこちらを向いた。
「ああ、カンナか」
 部長が、そばに置いていたCDラジカセに手を伸ばしてボタンを押した。同時に歌声が止む。おいおい、テープかよ。
「先輩の声かと思いました」
「『イメトレ』という奴だ」
 そして朝川部長は、俺が持っている退部届とスーツを見た。その瞳に、いつもの刺すような鋭さはなかった。

「なあ、カンナ。歌は素晴らしいな」
 急に朝川部長が柔らかい口調で話し始めた。引き止めるつもりか?
「先輩、俺は……」
「他の命を食べたり、言葉によって人を傷つけたりするこの口が、美しい旋律に乗せて人の心に訴えかけることが出来るんだ」

 俺は、何も言えず、部長の履いている音楽室のスリッパをじっと見つめていた。


「カンナ、部は辞めても歌うことは辞めるな。『歌いたくとも歌えない人間』も、この世には居る」


 動けなくなった俺の横を、部長が通り過ぎる。俺の頭をぽん、と叩いて。
 

 そして何故か、俺の目には涙が溢れていた。

 
 何故、部長は歌わないのか。

 
 何故、合唱部が正義のヒーローごっこなどやっているのか。
 

 俺は、部長のことを何も理解しようとしてしていなかったということに、今更気がついたのだった。





 あれから半年後。

「コーラスレッドォォォ!!!」

 先輩たちが引退した今、俺は歌うンジャーの2代目レッドとして活躍している。
 俺は、あれから音痴が直った代わりにめっきりモテなくなったが、もっと大事なことを掴んだと思っている。

 今日も校内の秩序を守る俺たちを見守る、2つの人影がある。朝川先輩と大久保先輩だ。2人に手を振ると、快く振り返してくれた。
 




「なあ、朝川」
「何だ」
「あいつ、まさかお前がド級の音痴だなんて思いもよらんだろうな」
「勝手に勘違いしたほうが悪い。ま、これで学校から当分補助費がおりるだろう」

 そしてニヤリと笑った朝川先輩の意図を、俺はこの先も知ることはなかった。