声(投稿者I氏)



「おかえりー。今日も帰り遅かったなぁ。飯、ちゃんと食っとる?」
 いつもどおりヤツが声を掛けてきた。
「晩飯なら会社でコンビニ弁当を食った」
 俺が答えるとヤツはやれやれと言わんばかりに溜息を付く。
「そんなんばっか食っとると病気になるで」
「毎度の事だが細かいヤツだな」
「アンタは放っとくとすぐにズボラするんやもん」
 マジで余計なお世話だぞ。

 二十世紀末頃から日本は少子高齢化が進み、政府は独居老人の孤独死や、身内による老人が老人の介護をする家庭問題の急増に頭を痛めていた。
 そこで厚生労働省が大学や民間企業に委託して作ったのが最新式高性能風呂釜、「おはようからおやすみまで、あなたを見守る安心君」だ。
 政府は試験運用を兼ねて都心にマンションを建設し、激安賃貸料で年齢性別問わずモニターを募集した。就職したてで貧乏な俺は迷わずこれに応募した。

 入居以来、ヤツはほとんど毎晩エセ関西弁で俺に話し掛けてくる。背中越しだろうが、俺がくつろいで眠そうにしていてもおかまい無し。
 面倒臭がって家に居ても顔を合わせなかった翌日の苦情は凄まじい。
「くさー。マジで堪忍してや。暑苦しい男の汗の臭い嗅がされる身にもなってや。風呂は毎日入らなアカン。そんなんやからアンタはヲナゴにもてんのや」
「ほっとけ。というか、何でお前がそんな俺の細かいプライバシーまで知っている?」
「……」
 だんまりかよ。ヤツは都合が悪いらしい質問は露骨にスルーしやがる。
 身体を拭いてる時もヤツはツッコミを忘れない。
「あー。また髪を綺麗に拭かんし。明日の朝ボサボサ頭で後悔するんはアンタやで」
「今やろうと思ってたんだよ」
「パンツの柄も趣味悪ー。いくら貧乏でも、もうチョイ金掛けろや。彼女居らんくて必要無いから、勝負下着の一枚も持ってへんのやろうけど」
 このヤロ。
「あ、ちゃんと寝る前に自分の電源消すんやで。小さなコトから節約せんと、いつまで経っても金は貯まらんで」
「ウゼェ。お前は俺のお袋か?」
「あれ? もしかしてアンタ、自分とぎょーさんしゃべるの楽しみにしとる? そんなら二十四時間スイッチオンにしといてもエエで。何時でも好きな時に話せるやろ」
 ……。
 ドコのアホだ? 風呂釜適正温度お知らせ機能に、音声ガイドはともかく、カメラと臭いセンサーとツッコミ機能まで入れたのは。毎晩鬱陶しいったらありゃしない。

 通称「安心君」は季節やその日の天気に気温、ユーザーの好みや入浴時間、体調にも合わせて一番快適な状態で風呂を用意する。
 国を挙げて進めたプロジェクトは、俺の予想をはるかに越えて優秀なシステムだった。
 始めは楽が出来て便利だと思った機能も、AIの学習機能で日々嫌な状況に陥っている。
 元凶は「あなたのお友達、おしゃべり機能君」こと、俺にさっきから小姑のごとく説教たれているヤツの声だ。
「何を鏡の前で鼻息荒くしとるん? 側から見たらキモイわ。身体拭いたらちゃっちゃとパジャマ着や。アホでも風邪ひくで」
 だーっ。一人暮らしの老人がメインターゲットとはいえ、チェックは厳しいし一々うるさいんだよ。
 サポート機能らしくお姉さん声で優しく言われるならまだ腹も立たないが、ヤツは同年代の男設定。なんかすげー嫌。

「せめて若い女声だったらなぁ」
 多少うるさくても妹みたいで可愛く思えるかもしれないのに。
 俺の表情から何を考えていたのか気付いたらしい。ヤツが嫌そうな声を上げた。
「アホかぁ。うっかりでも独身男が風呂釜に惚れたら、それでのうても少子化が進んどるのに一気に人口問題勃発やろが」
 はあ!? 人間が風呂釜に惚れるだって?
「ぎゃーっ! 酒飲んでも無いのにこないトコで吐くな。ココは片付けとくから、今すぐ洗面所に行けー」
 口を押さえて俺が洗面台に飛び込むと、背後から温風が吹いてきた。あ、そういやまだ服を着ていなかったんだ。口は悪いが仕事はきっちりするヤツなんだよな。
 さっぱりして脱衣所を覗くと床は綺麗に掃除されていた。
「もう寝れや。残業続きで疲れが溜まっとるんかもしれん。身体冷したらアカンで。自分が担当出来るんは、風呂と洗面所だけなんやから。ほな、おやすみー」
 ヤツが呆れたような声で、言いたい事を言って黙ったんで俺は風呂の電源を切った。

 「安心君」は最低限のプライバシー保護で、電源オン時のみ稼働。風呂と洗面所以外には設置されていない。いくら機械でも裸を見るのは良いのか? 特にユーザーが若い女の人の場合とか。
 と、ツッコミを入れちゃいけないらしい。
 綺麗なお姉さんがユーザーなら、俺が風呂釜になりたいくらいだが、カメラ映像と会話は、ユーザーの緊急時以外は随時消去されている。風呂釜が選ばれたのは、冬場や夏場に洗面所や風呂場で倒れる老人が多いかららしい。
 実際に住んでる身としては、設計者の趣味(嫌がらせ)としか思えないんだがな。

 今日も深夜残業決定。この分じゃとても終電に間に合わないな。俺は仕方なく近所に有る二十四時間営業のビジネスホテルを予約した。
 一時過ぎにくたくたになってホテルのベッドに転がり込む。
「おーい。何やってんだ。さっさと風呂を湧かしてくれよ」
 返事が無い。
 あ、そうか。此処はマンションじゃ無いんだ。俺は身体を起こして、数ヶ月ぶりに自分で風呂に湯を溜めた。
 狭いバスタブに足を折って浸かる。
 温い。温度設定が不安定なのかな。安ホテルだから仕方ないか。
 俺の溜息と水音以外は何も音がしない。風呂ってこんなに味気ないものだったか? ……って、俺は何を考えてるんだよ。ヤツに毒されたか。
 顔を濡らしてゆっくり目を閉じる。静かだ。これが普通の風呂なんだよな。

「おかえりー。昨夜はどうしたん?」
 やっぱり速攻で聞きてきたか。
「終電に間に合わなくてホテルに泊まったんだよ」
 ヤツは珍しく厳しい口調で俺に抗議をしてきた。
「アンタな。毎日こんな生活続けてたらホンマに身体壊すで。仕事が忙しいんはしゃーないけど、ここ二、三ヶ月まともなご飯や睡眠も摂ってないやろが」
「プロジェクト締め切り前で忙しいから仕方ないだろ。マジでウザイヤツだな。ホテルの風呂は狭いし機能もお前よりずっと落ちるけど、話さない分ゆっくり入れたぞ。毎晩うるさい小言で疲れている俺のストレスを上げるなよ!」
 俺がシャワーを浴びなが言い切ると、ヤツは「そうなんか」と言って沈黙した。
 珍しいな。いつもなら俺が憎まれ口を叩くと、軽く三倍は返ってくるのに。

 次の日も残業で終電ギリギリだった。目眩がしそうだ。マンションに帰って俺はすぐに風呂の電源を入れる。ヤツは俺の顔色を見て素早く風呂の準備を始めた。
 ……およ? 何か足りない気がするぞ。
 脱衣所に入るとほんのり温かく湿った空気が俺を出迎えた。寒風に吹かれながら駅から歩いて来た身にはありがたい。
 身体を洗って湯船に浸かると微かにラベンダーの臭いがする。これはリラックス効果が有るんだったな。
 この身体にしっくりくる感じは何だろう。お湯の高さは丁度俺の胸下くらいで身体が軽い。温度も適温、気持ちが良くてこのまま寝ちゃいそうだ。
 と、思ったらいきなり大音量でハードロックが流れてきた。湯船でこけたら危ないから寝るなってか。はいはいっと。
 あれ? いつもと違わないか?
 脱衣所に出ると今度は乾いた温風が俺を包む。この機能のおかげでマンションに入居してから、会社で移される以外に風邪を引いた事が無いんだよな。
 歯を磨いていつもどおり風呂の電源を切る。うーん。何だろう。俺は頭をひねりながらベッドに潜り込んだ。

 プロジェクトが一段落付いて、久しぶりに定時に家に帰ると風呂の電源を入れた。
 手に帰り道で買った牛丼の袋が有るからかヤツはすぐに風呂は溜めない。俺が飯を食い終わって一息付いた頃に適温お知らせメロディが聞こえてくる。
 この絶妙なタイミング。何だかんだ言ってもやっぱりヤツは高性能機種だ。
 ……。あれ? やっぱりおかしいぞ。
 そういえば俺はここ一週間くらいヤツの声を聞いていない気がする。スピーカーから聞こえてくるのは音楽だけだ。俺は脱衣所に入るとヤツに声を掛けてみた。
「おい」
 シカトかよ。
「おいってば」
 またか。
「返事くらいしろよ。無口なまんまなんてお前らしくないぞ」
「アンタ、風呂はしゃべらない方が良いって言ったやんか。ほやから自分、電源が入ってもずっと黙っとったん」
 思いっきり拗ねた声でヤツは呟いた。
 そうだった。俺が疲れで八つ当たり混じりにヤツを怒鳴ったんだ。
 ヤツのシステムはユーザーの安全と安心を優先させる。俺が嫌がるからと黙々と仕事をこなしていたんだ。全部俺のせいじゃないか。
「お前に黙っていられる方が嫌だ。今までどおりで良いから好きに話せよ。無口なお前なんてこっちが居心地悪いんだよ」
 返事もしない。まだ拗ねてるのか?
「なんやー。やっぱ自分が居らんで寂しかったんやん。アンタもいい加減照れ屋さんやなぁ。ほやったら張り切ってしゃべるで。まず耳の後ろを念入りに洗えや。アカが溜まっとるわ」
 わははとヤツは笑う。わざと俺を焦らしてたのかよ。機械のくせになんて野郎だ。
 ヤツは嬉しそうに一週間分溜め込んだ説教を俺に言い始めた。口を開いたらうるさくて仕方がない。
 いくら安いからってこんなマンション出てって……やらない。機械に言い負けっぱなしじゃ悔しすぎる。
「いつかお前を言い負かせてやるからな。覚えてろよ」
「フッ。そんなんアンタの頭じゃ絶対無理」
 この野郎、今思いっきり鼻で笑いやがった。
 前言撤回。やっぱり金貯めてさっさと出てってやるーっ!