正しい王女様の育て方(投稿者D氏)



「ちょっと待て! 本気で言っているのか!」
「ええ、本気よ」
 妻に向かって声を荒げた彼に対して、妻は平然とした声で冷ややかに返した。
「……もう一度聞く、本当にそのつもりなのか?」
 先々月で五歳になった愛娘をキープするかのように抱きかかえると、彼は同じ問いを発した。しかし、返ってきたのは“ええ”の二文字であった。
「別に良いじゃない、アリアを騎士として育てたって」
 この国に女性騎士がいることを彼は知っているし、女性が騎士に相応しくないなどとは毛頭たりとも思っていない。しかし、自分の娘の場合は別であった。
「一国の王女なんだぞ、アリアは……」
 彼は若いながら一国の王である。そうなると、その娘は当然王女である。
 王女というものは心優しく穏やかな人物でなくてはならない。そして、日々詩画音楽に親しみ、時々バルコニーから国民に向かって天使の微笑みを振りまくのが仕事である。だが、彼の妻は娘を騎士にしようと言い出したのである。
「だからこそよ。アリアが普通のお姫様になったら世間が許さないわ」
「何だその屁理屈は……」
「……何、その反抗的な口調と眼差しは? もしかして、私の意見に何か文句あるの?」
「…………」
 そう言われた瞬間、彼はこみ上がってくる怒りと不満をぐっと飲み込んだ。断っておくが、彼は小さな国を守るために幾度となく戦場に立ち、その都度大将首を引っさげて帰ってくる猛者である。近隣諸国には常勝将軍として名声を轟かせ、国内では貴族民衆の双方から厚い支持を受けている英雄である。
 それなのに、彼は妻に逆らうことができなかった。何故なら、彼女の実家がこの国の十倍の面積と二十倍の兵力を誇る超大国なのである。それを敵に回そうものなら、一騎当千と称えられる彼であっても、二週間と経たずに降伏か玉砕いずれかのカードを引かざるを得なくなるであろう。
 そもそも、妻との結婚そのものが国力の差を背景にして強要されたものなのである。建前上は対等な関係であるが、彼女と彼女の実家に対して頭が上がるはずがない。
 くっ……と短く音を発すると、彼は娘を降ろして部屋から立ち去った。

 翌日、彼は大きなクマのぬいぐるみを抱えて娘の元に向かった。妻が娘を騎士として教育する前に、自分が心優しくて清楚なお姫様として教育してやるという企みを一緒に抱えて。
 部屋に入ると、幸いなことにアリアが一人で積み木遊びをしているだけであった。邪魔者が入る前に優しさや清楚さ、可憐さ、華やかさ、その他諸々をアリアに教えてみせると胸の内で誓うと、彼は口でど〜んと言いながら彼女の前にぬいぐるみを置いた。
「ほら、可愛い可愛いアリアに父さんからプレゼントだよ」
「わ〜い! クマさんだ!」
 自分と同じ大きさのぬいぐるみに瞳を輝かせる愛娘を見て、彼は心底ほっとした。
 やっぱり自分の娘はちゃんとした王女になる素質を持っているのだと一人で納得している彼に向かって抱きつくと、アリアは可愛らしくおねだりをした。
「お父様、アリアは絵本を読んで欲しいです!」
「いいぞいいぞ。アリアのためなら何冊でも読んであげるよ」
「やった〜っ!」
 抱き上げるや否やチュッとキスをするアリアに口付けを返すと、彼は自信満々の笑みを浮べた。
「大丈夫だ……この子は清楚で可憐なお姫様になる、絶対に…………」
「……お父様?」
「いやいや、何でもない。さあ、何の本にしようかな?」
 彼は父親らしい微笑みを浮べると、部屋の隅にある本棚から適当な絵本を取り出した。そしてソファーに座り、抱いていたアリアを膝に乗せると優しい声で絵本を読み始めた。

「……こうして騎士は悪い魔法使いをやっつけてお姫様を助け出し、二人は結婚していつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」
 ありがちな内容の絵本であったが、アリアはとても楽しそうにそれを聞いていた。そして、父による語りが終わるとすぐに体の向きを百八十度変えて父の胸板にぴたっとくっついた。
「お父様」
「ん? なんだい?」
 彼を見上げる彼女の瞳は好奇心で満ち溢れ、ラピスラズリのような光を放っていた。きっと物語が好きなお姫様になり、もしかしたら自分で童話を書くようになるかもしれないと彼が感じていると、アリアが子供ならではの純粋な質問を投げかけてきた。
「アリアも……悪い魔法使いにさらわれちゃうのですか?」
「はっはっは、大丈夫大丈夫。悪い魔法使いがやってきたらお父さんがやっつけてあげるよ」
 彼がぎゅっと力こぶを作って見せると、アリアは楽しそうにはしゃぎながら更に口を開いた。
「それとそれと……何でお姫様は悪い魔法使いをやっつけなかったのですか?」
「……へっ?」
 その瞬間、彼は我が耳を疑った。しばらく思考回路が停止していた彼であったが、何かを期待する娘の視線に気が付くと、すぐににっこりと微笑んだ。
「ど……どうしてそんなことを聞くのかな、アリア? 父さんはいつ白馬に乗った騎士がアリアの前に来るのって聞くものとばかり思ってたよ」
「だって、悪い魔法使いは悪いんだから、お姫様がやっつけてもいいんじゃないですか? 剣を使ってえいや〜っ! って」
「お姫様は剣よりも本やクラリネットが好きなんだよ。そう、それが普通のお姫様さ。アリアもそうなるんだよ」
「それ、おかしいです。アリアはお姫様が剣でえいや〜っ! ってやってもおかしくないと思います」
 滝のような汗が彼の背筋を流れていた。さっきまでの娘はクマさんのぬいぐるみと絵本に心を躍らせていたリトル・プリンセスであったはずである。何故こんなことを言い出したのか、彼には分からなかった。
 何とかして起死回生の秘策を思いつこうと必死になっている彼であったが、無情にも、部屋のドアが開いてフルートを手にした妻が入ってきた。
「お母様〜っ!」
 母に気が付くと、アリアは父の膝からぴょんと飛び降りてとてとてと駆け寄った。
「お母様お母様! アリア、お父様にこんな大きなクマさんをもらいました!」
「あら、良かったわねアリア」
「今度からクマさんと一緒に剣を練習して、悪い魔法使いにさらわれても大丈夫なお姫様になるんです!」
 アリアはつま先立ちをして母の手からフルートを取ると、それでクマさんをポンポンと叩き始めた。
「アリアはとっても上手ね。たくさんお稽古をして立派な騎士になるのよ」
「は〜い!」
 返事をした時のアリアの表情は、先程彼が絵本を読んであげた時よりも生き生きとしていた。
 がっくりと肩を落とし、ぬいぐるみを叩いて良い物と教えた覚えはないと自問自答する彼の肩に手を置くと、妻は勝ち誇った声でこう言った。
「うふふっ……やっぱり血は争えないわね、将来が楽しみだわ」
「お前……俺のいないところでアリアに何を教えたんだ? アリアがこんな子になってしまったのはお前のせいだろ?」
「何? 私の教育方針に不満があるの?」
「……いや、何でもない」
 彼は大人しく白旗を上げた。妻が実家に帰ろうものなら、この国の存亡がかかった一大事になってしまう。
 だが、彼は一抹の望みを捨ててはいなかった。アリアは女の子なのだから、いずれ詩画音楽に関心を持ち、武術の稽古などには興味の欠片も示さなくなるという一抹の望みを。
 しかし、十三年後。彼女が父と共に戦場を駆け巡り、プリンセスナイトとして人々に恐れ敬われたことは言うまでもない。