定められた未来を捨てて(投稿者A氏)



「…すみません、もう私を忘れてください」
 俺は冷たい床の上に座ったまま、彼女の姿を目で追っていた


 馬鹿げてる。
 親の都合で愛し合う者が引き離されるって、いつの話だよ?
 今時そんなことが通用するのなんて、俺達みたいな人だけだ。
 …今は置いておこう。
 要は、このままだと無理矢理結婚させられる彼女を助ければいい。
 それまでは、英気を養っておかないと…

       ◇

「…バレてないね」
 後ろを確認し、気ままに歩き出した。
 稽古が嫌で逃げてきたのだ、時間さえ潰せればいい。
 ふと、遠い所から金属音が響いてきた。
 …こんな近くでも始めたわけね。
 本当に無駄だよな。
 よくまあ頑張るね、うちの親父も、相手の男も。
 立場上こんなことは公で言えないけど、思うだけならタダだし。
「すみません、ここは一体どの辺りですか?」
 視線を上げるとそこには、綺麗な女性が立っていた。
 でもそれは、演出された美しさだ。勿体ない、地の方がよっぽど美人なのに。
「えっと、ここはね」
 簡単に説明をする。
「そうですか…ところで、服装からすると貴方は――」
 どうにも気になって、お互い自己紹介してみた。
 …凄い偶然だ。距離はそう離れてないから、あり得る話ではあるけど。

 それから一時間、楽しく世間話をした。
「ここまで来られるってことは、そっちも慌ただしいの?」
「はい。ということは、やはりそちらも…ですが、おかげでこうして出会えましたし、少しはお父様に感謝します」
 俺も、少しだけ親父に感謝…
「…でも、俺の親父と君のお父さんがこんなこと始めなければ、普通に出会えたんじゃないかな?」
「…そうですね。普通にお会いし、婚姻を結んでいたかもしれません」
 ここ数年、落ち着いた会話から疎遠だったせいか、話してて気分が明るくなる。
 …そうだ。
「良ければ、一緒に逃げ出さない?」
「…面白そうですね。お父様もお困りになるでしょうし、利害は一致します。
 それに、私達の不在を知っても、双方探索の余裕はないでしょうから」
 …普通なら飛びつかない話に賛同するんだから、娯楽にも飢えてたのかな?
「いいの? 俺が本当はどんな奴か分からないのに?」
「私の見解では、私にどうこうするようには思えません。人を見る目はあるつもりです」
 確かに俺達は、人を見る目とか凄い大事だけど。
「うん、じゃあ決まりね」

 そんなこんなで、俺と彼女の逃亡生活が始まった。

「夕ご飯を作りますが、食べたいものは?」
「ん〜…いつも通り、美味しいもので」
 彼女の作る料理はどれも美味しく、俺が口出しするよりお任せにした方がいい。
 そういえば、何で料理が上手なのか訊いたことがあった。
『機会さえあれば逃げ出そうと思ってたので、こっそり練習してたんです。家事全般は得意なので、期待してもらって構いません』
 だそうだ。
 確かに、俺や彼女みたいな人で家事が得意って、冗談にしか思えない。
「したたかだな、ホント」
「? 私のことですか?」
「うん。思いつきで逃げた俺と違って、計画してたんでしょ? 大違いだよ」
 今の俺は日雇いの土方仕事をしてるだけで、こんな状況のためか、賃金は低い。
「でも、貴方がいなければ無意味に終わったんです。いくら私でも、着の身着のままで持てる金銭は高が知れてます。それに、貴方みたいに素敵な方と会えたのは、とても嬉しい誤算でした」
「俺みたいな男、ありふれてるよ」
「そうでしょうか? 貴方は突然この状況下に追い込まれたのに、簡単に適応しました。
 それに…私に手を出そうとしないじゃないですか」
 恥ずかしそうに言う彼女に、頭がこんがらがってしまう。
「あー……そう考えたことがないとは言い切れないけど…その…」
「なら、今晩辺りに私を食べますか?」
 恥ずかしそうに言ったのは演技だったのか、しれっとそう言ってくる。
 …よく思考が止まらなかったな。自分に感心する。
「い、いや、あの」
「ふふ、冗談ですよ。少しからかっただけです」
 …心臓に悪い。
 彼女、良い意味でいじめっ子の素質がある。開花する場所がなかっただけで。
「でも、貴方ならいいですよ。
 ここで生活を始め二ヶ月。貴方の人となりは掴めたと思います」
 …何でそんなこと言うかな。
「あのさ、俺も男だからそんな風に誘われると…」
「大丈夫です。何だかんだ言って、貴方は真面目です。お互いに告白でもしない限り、そんなことは出来ません。私が保証します」
 …彼女には勝てそうにない。
 忙しない心臓を落ち着かせつつ、そう思った。

 そんなこんなで、四ヶ月が過ぎた。

「そろそろ、別の場所に移りますか?」
「そうだね…長期間同じ場所に留まって、見つかると面倒だし」
 俺はとにかく、彼女が捕まるのは本当に困る。
「では、三日後は? 月に一度の配給があり、私達に気を配る人などいないと思います」
「そうだね…じゃあそうしようか」
 言ってから、口付ける。
 少し前に告白すると、あっさりと告白し返された。
 彼女曰く『行動が遅い』らしい。
 でも、言おうかどうか本当に迷った。
 正直、つり橋効果で好き合ったと考えてしまう。
 彼女のことは確かに好きだけど、どうなんだろう?
「…また考えてるんですか?」
「うん。まだ、自分が信じられないんだ」
 彼女にはもう、そのことを告げてある。
 そしたら、笑いながら言ったっけ。
『好きということが確かなのに、他にもまだ必要なんですか?』
 彼女には敵わない。
 あそこまで言われると、質問した俺が照れてしまう。
「でも逃がしませんよ? 一生、私のトリコにしてあげます…ね?」
 …もう、トリコだけど。

 そんな日々が続いていた。
 でも、そう長く続くものじゃなかった。

      ◇

「…あんなにあっさり見つかるとはね」
 今は利用価値から生かされてるけど、どうなるか分かったもんじゃない。
 それに、看守の一人がベラベラ話した限りだと、二日後に彼女は結婚させられる。
 そんなこと、許すわけにはいかない。
 一応作戦は立てたから、後は実行に移すだけ。
 土方作業をしてたせいか、少し自信もある。
 おっかなかったおっちゃん達に感謝する。
 何しろ、俺次第では彼女を助けられるのだから。


 二日後


「痛い、痛いー!」
 叫ぶ。何事かと扉を開けてくれれば計算通り。
 静けさから、見張り一人かそこら残して、彼女の結婚式に出てるようだし、どうにかなるだろう。
「ど、どうした!? くそ、お前に何かあったら、俺が…!」
 身勝手な叫びを上げつつ、扉の鍵を開ける。
 …俺の行動も身勝手だけど、気にしない。
「おい、何処が痛…」
 勢いよく入り込んできた所を殴ると、看守は倒れこんだ。
 …拳が痛い。
 手を軽く振りつつ見た所、人はいない。
 色々と物色してから、彼女の元へ向かった。


 歓声が聞こえる。ここで結婚式をするんだろう。
「ひのふの…結構数がいるな…こんだけ騒いでれば、聞こえやしないだろ」
 紐を解いていき、置いてある鞭で引っ叩いていく。
「おお、一目散に逃げ出してくな」
 とりあえず、必要なのはこいつだけだ。
「次…これが一番大変なのか」


 警備が手薄だったので、簡単に侵入出来た。逃げるのも何とかなりそうだ。
「やってるね」
 人に埋もれつつ、彼女の姿を捉える。
 ただでさえ綺麗な彼女が、ウエディングドレスを着ることで更に映えている。
 その隣には知らない男。冴えない奴だ。
 …それより、周りを確認しないと。
 あの華美な服装した男が、彼女の父親だろう。俺の親父といい勝負だ。
 …見た所、娘を思い通りに操りたいけど、傷つけたくないって感じがする。
 俺に手を出さなかったことからも、少しの無茶なら大丈夫そうだ。
 「殺してでも捕まえろ!」ではなく「無傷で捕まえろ!」って言いそうだし。
「…を誓いますか?」
 もう誓いの言葉か。
 …ヤローめ、知り合ったばかりだってのに、愛を誓うなって話だ。
 もう一度、周りを確認。
 …曲がりなりにも、『一国のお姫様』の警備をしていると思えない。
「…さて。後は野となれ山となれっ!」
 飛び出した。
 俺の姿を見た神父達の時が止まる。
 それもそうだ、俺は『敵対する国の王子様』だし。
「掴まって!」
 手を差し出すと、彼女はしっかりと握る。
 横目で確認。誰も動かない。
「あ、あの男を捕まえろー!」
 今更、彼女の父である国王が騒ぎ立てる。
 『二人を無傷で捕えろ! 価値が薄れる!』とか言って。
 ありがたいね、計算通りだ。
「よく逃げられましたね」
「そりゃ、何とかするよ」
「ええ、信じてました。貴方が来ると。
 連れて行かれる時、ああいった言葉を残しておけば、何とかしてくれると信じてました」
 そこまで計算ずく…ではないだろうね。
 あの時の君、泣きそうだったもの。
 でも、そんな無粋なことは言えないか。
「そりゃ、俺は君のことが好きだしね」
 本心を告げる。照れくさいけど。
「私も貴方のことが好きですよ」
 彼女も、俺に答えを返してくれる。
 見つめ合い、笑い合う。
「もうすぐ外ですね。逃走手段は?」
 苦笑する。
 一国のお姫様だってのに、本当にしたたかだ。
「見てのお楽しみ」
 外に出ると、俺が言うより先にそれを見つけた。
「馬ですか。…ところで、何故一頭しかいないんです?」
 馬が一頭だけポツンといるのが気になったようだ。
「全部逃がした。馬の扱いは慣れてないからね」
 彼女が感心してる。
 家事の話もそうだけど、本当に作戦とか好きみたいだ。
 そんなところも、好きなんだけどね。


 馬を数時間走らせた。
 もう少しすれば別の国に入るくらい、遠くまで。
「このまま隣の国に入る? 城の牢屋から出た時、金品を少しくすめてきたけど」
 俺、少し前まで王子様だったのに。
「そうですね…私も多少の貴金属を持ってるので、裏の人から戸籍を買いましょうか」
 …たくましいね。
「じゃあ、このまま国境を越えて、そこで一緒に暮らそうか?」
「ふふ、当たり前でしょう。私、貴方のことを何度好きって言ったと思ってるんです?」
 うわ、小悪魔的な笑いを浮かべてる。
 そういえば、トリコにしてくれるんだっけ。
 …望むところだ。
「それじゃ決まり。このまま、真っ直ぐ行こうか」


 これは、ある王子様と王女様の、したたかで自分勝手な昔話。