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結婚行進曲(投稿者:つなみ氏)


 一階のラウンジで、芙由子はコーヒーを飲みながら、暇をつぶしていた。
 友人の結婚式に出席するために、新幹線で2時間半かけて都会へでてきたのだ。予定では前日入りする予定だったのだが、締め切りのある仕事に追われて、結局始発で来る事になった。美容院にも行けず、服だけは前から用意してあったのが唯一の救いだった。
 式の開場まではまだ、ニ時間ほどあった。駅についた芙由子は、そのまま真っ直ぐに、式場のホテルへとタクシーで乗りつけていた。
 芙由子が、欠伸をかみ殺した。
 他にも招待されてるだろう久しぶりに会う高校時代の友人や花嫁の綺麗な姿を見たら、今こうしてのんびりとしている時間に美容院をへ駆け込まなかったことを後悔するだろうか、と芙由子は思った。
 ガラス越しに、窓際に座っていた芙由子の目の前を、背広の男性が走リ過ぎた。
 夏の熱風に負けたのか、背広の上着を肩に引っ掛けネクタイを胸ポケットに突っ込んで走る男の姿に、芙由子は笑みを浮かべた。
 長瀬だ、とすぐに気づいた。向こうもそんな芙由子に気づいたようで、ホテルの自動ドアを駆け込んできた長瀬は、芙由子の方へと近づいてきた。
「久しぶりだな」
 芙由子が、コーヒーのカップを受け皿の上に下ろした。照れくさそうな表情で、額の汗を拭いながら言った長瀬に芙由子は、そうねと頷いた。
「どのぐらいぶり? 一年、経った?」
「どうだろ、そのぐらいかもな」
 注文を聞きに来たウエイトレスに長瀬はアイスコーヒー、と頼んで、向かいの席へ腰を下ろした。
 芙由子の視線に長瀬が、なんだよ? と聞き返した。
「そうやって、スーツなんて着てるところを見ると。サラリーマンみたいだなって思って」
「サラリーマンなんだよ、みたい、じゃなくてさ」
 メールでは時々連絡を取り合っていた二人だったが、こうやって、久しぶりに顔合わせると面映いものがあった。
 芙由子の返答に、長瀬は苦笑を浮かべた。
 高校時代の長瀬は、どちらかというと冴えない男だった。何でもそつなくこなす割には、目立たない地味な存在だったのが、頭角を現しだしたのは大学時代。突然周囲に認められはじめた。同じ高校からその大学へ行った中では、芙由子が長瀬と最も親しい存在だったから、周りから冷やかされた時期もあった。
 実際、付き合っていたと言える時期もあった。今なら素直にそう思える。
 あの頃は、好きという言葉から始まった関係ではなかったし、時々、抑えきれなくなる不安に――将来や多くのことに対する不安に一人で耐え切れず、互いに甘えているだけなのだと思っていた。
 やがて、芙由子は地元の民間の企業に就職し、長瀬は大学に残った。しばらくその後も続いた関係は、長瀬が大学から別の研究機関へ出向することで自然消滅を迎えたのだった。三ヶ月だった出向予定が一年になり、一年の後には、さらに三年の出向辞令がおりた。
 チラリと腕時計を見た長瀬が立ち上がった。そのまま通路へ出て行き、顔見知りの男に声をかけた。一声もなく置いてかれた芙由子は、何を思うでもなくその様子を眺めていると、すぐに長瀬は引き返してきた。
「受付頼まれてたんだけど、別のヤツに変ってもらったよ」
 芙由子も腕時計を見た。開場まであと一時間という時刻になっていた。
「いいの?」
 いいんだ、と長瀬が答えた。芙由子がため息を吐いた。
「何?」
 耳聡い長瀬にもう一度、ため息を吐きたい気分になった。正直、久しぶりすぎてこれ以上、何を話題にすればいいのかわからない。 
「なんでもない……。由利とは、結構、連絡取り合ってたの?」
 花嫁の友人として、受付を頼まれるからにはそれなりの付き合いを続けていたということだろう。芙由子の方は、年に数度会って近況報告しあう以外は、年賀状のやり取りぐらいしかしてなかった。
「こっちに出てきてからな。まあ、メールでのやりとりが主だけど」
「相手がどんな人か知ってる?」
「会社の同僚だったか先輩だって話だったかな」
 今度は、長瀬がため息を吐いた。
「何?」
「いや、折角久しぶりに会ったのに、と思ってな。お前のことが知りたいよ。元気でやってたか」
「見た通りよ」
 笑顔を残して芙由子が席を立った。長瀬の口ぶりに、一年ぶりに再会したにしては、図々しすぎるものを感じた。
「まだ早いよ」
「私、せっかちなのよ。時間に遅れるの、嫌いなの」
「知ってるよ」
 長瀬が芙由子の手を取って止めた。昔にはなかった強引さだった。
「式場へ行くわ。三階だったわよね」
「ああ。鳳凰の間、だったはず」
 素直に返事を返す長瀬に、芙由子が苦笑した。
「それで、貴方はどうする? このまま手を繋いで、一緒に行く?」
「そうだな」
 冗談でしょ、と言う間も無く、長瀬は芙由子の手をひいて歩き出した。エレベータの前で、その手に自分の腕を掴ませた。
「変らないな、お前」
「誉めてるの、貶してるの?」
 本当に判らないといった表情で、芙由子が問いただした。
「俺は嬉しいよ」
 二人を乗せたエレベータが三階で止った。
「誉めてるのね?」
 念押しされて、そうだよ、と長瀬が肩を抱き寄せた。
 鳳凰の間の前にはすでに招待客が犇いていた。受付で氏名を記入すると、
「では、あちらでポロライド写真を撮りますね。その下にメッセージを書き添えてください」
 見れば、受付の横にあるコルクボードにはすでに何枚かの写真が貼られてあった。招待客たちの思い思いのメッセージが添えられている。
「ご一緒でいいですか?」
 ドレス姿でポラロイドカメラを構える女性に、芙由子が頷いた。長瀬の腕は肩に添えられたままだ。
「はい、どうぞ。メッセージを書いてくださいね」
 写真を受け取った芙由子が長瀬を振り返った。
「メッセージ、何書く?」
 芙由子の手の中で、セピア色だったポラロイド写真が、徐々に色付きはじめていた。まるで、恋人のように肩を組み、笑顔を浮かべている二人が浮き出てきた。
「”お幸せに”」
「それ、捻り無さ過ぎない?」
「”先にお嫁に行くなんて、許せないわっ”」
 裏声を使って、長瀬が言ったので芙由子が吹き出した。
「私の名誉のために、それは勘弁してよ」
「洒落のわかんないヤツ」
「なんとでも言って」
 しかめっ面の芙由子に長瀬が笑った。
「”次は私の番よ!”――ってのは?」
 わざと面倒くさそうに言った長瀬の言葉には、友人たちが次々に結婚していく中で、嫁き遅れになりつつある芙由子を確実に揶揄するニュアンスがあった。
「そうね。それにしておくか」
「あれ、怒った?」
 ツンと横を向いてしまった芙由子を長瀬が覗き込もうとした。
「はい、書いたわよ。貴方は?」
 書くよ、と顔の前に突き出された写真を長瀬が受け取った。さらさらと、書いて芙由子に返した。
 何気なく、写真を、長瀬のメッセージを読んだ芙由子の頬が赤らんだ。
 漫画ちっくなフキダシに描かれた、芙由子の”次は私の番!”というメッセージ。
 ポラロイドの写真の中で微笑むその隣には、”俺が貰ってやろうか?”という台詞とともに、笑う長瀬が映っていた。


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