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砂漠の花嫁(投稿者:広河陽氏)



 首すじのタオルの冷たさに目を覚ますと、マモルはベッドの中にいた。その部屋は狭くて、あちこちに本が積まれて山になっている。タイトルを見ると植物について書かれている物ばかりだ。
 本の山の間には、手のひら大の筒状のケースがいくつもおいてある。ケースの中身は全部、砂だった。
 窓から見える風景は、一面の砂漠。
 そんな部屋の中で、壁に無造作にかけられた真っ白なドレスがマモルの目を射抜いた。作りや質は上品そうだが、その割にドレスの扱いはいいかげんだった。
 ゆっくりと体を起こすマモルに投げかけられる声があった。
「良かった、生き返ったのね」
 部屋の奥の仕切りから女が顔を出した。年の頃は20代半ば、長い黒髪が印象的だ。彼女の切れ長の目から放たれる視線が、マモルの返事を待っている。
 マモルが大きくうなずいて見せると、彼女は部屋に入ってきてベッド脇の椅子に腰かけた。
「ここは、ドームの中じゃないよね」
 確認のためにマモルは聞いた。ドームの中なら窓からは高層ビル群が見えるはずだ。
「そう、ここはドームの外の世界、砂漠よ」
 外の世界、と言われて、マモルの肩がびくっと震えた。無理もない。彼の世代はドームの外の砂漠は死の世界と教えられている。
 彼女はマモルの不安をやわらげようと不器用な微笑を浮かべた。
「ここは砂漠の中の、私の個人ラボ。砂の解毒設備がはたらいているから、息しても死なないわよ」
 彼女の瞳には、とまどいの影がちらついている。マモルぐらいの年頃の幼い少年と話すのに慣れていないのだ。
「私の名前はアカリ。あなたが砂漠で倒れているのを見つけて、ラボに連れてきたの。ドームへ行くよりも近かったから」
 アカリにならって、マモルも名乗る。
「ぼくは、マモル。おじいちゃんの所へ行くのにドームでラインバスに乗っていて……気がついたら、ここにいた」
 そう言ったきりマモルは黙ってしまった。アカリはそれ以上、話をさせようとはしなかった。
 アカリは、ベッドの部屋とついたて一枚で仕切られたキッチンへ引っこむ。と、両手にカップ1つずつ持って出てきた。甘い匂いのするカップの1つをマモルの前に差し出す。
「ココアなんだけど飲める?」
 マモルは顔をほころばせ、そっとカップを手に取った。
 アカリもマモルにつられて笑いながらベッドの脇の椅子に座った。
「アカリは何をやっている人なの?」
 後ろ暗いところがないアカリは、素直に真実を口にした。
「私はグラウンド・スイーパー、砂漠の掃除屋よ。私たち人間が毒だらけの砂漠にしてしまった大地に、植物の種をまいて成長する力で毒を分解してもらう――フィト・レメディエーションっていうんだけど、それでこの星の表面を<掃除>するのが私の仕事。本職は植物学の研究者よ」
 部屋にたくさんある植物関係の資料やこのラボは、彼女の仕事に必要なものだったのだ。
「それを仕事にしたのは、どうして?」
 少年の素朴な質問に、アカリは10年ほど前の記憶をさぐる。
「最も偉大なグラウンド・スイーパー、時和教授にあこがれたから。彼の講演をきいたことがあって」
 苦い思い出がよみがえってきて、アカリは思わず手にしていたカップの中の甘いココアを口にした。
「その頃、私は植物学が嫌いだった。滅びていく種を集めて分類するだけに思えて……でも、時和教授はちがっていた。植物学はただ現実に流されるだけではない、この星を救う鍵になるかもしれない学問だって言ったの」
「その言葉がアカリの心を動かした?」
 興味のある話なのか、いつの間にかマモルはアカリをじっと見ていた。
「私があこがれたのは言葉じゃなくて、そう言った時の教授のキラキラした目なの。教授みたいなおじいちゃんが、あんな目をして夢中になるものが植物学にあるんだって思った。私もそれを見つけたいって」
 たった今、会ったばかりの少年に、自分をさらけ出してしまっていることにアカリは驚いていた。原因は分かっている。誰かに話して楽になりたいのだ。自分の気持ちがそこまで不安定だったのだと改めて気づかされるアカリだった。
「ああ、なんか思い出話をしちゃった。ごめんね。ここのところ色々と考えることがあったものだから」
 愛想笑いをしてマモルから視線を外すとアカリはうつむきながらココアを口に含んだ。再び顔を上げると少年の視線はアカリに向けられたままだった。
「壁にかけてある白いドレスはアカリのもの?」
 アカリは振り返って壁を見る。ドレスの白さが痛いぐらいにまぶしい。
「来週、私が着るの」
「あれ、結婚式の時に花嫁が着るウェディングドレスだよね。アカリの相手はどんな人?」
 アカリは一瞬、答えに詰まってしまう。
「……お金持ちの人よ。大きな会社の社長なんだって。あとは知らない」
「なのに結婚するんだね。一緒に暮らすんでしょ?」
「一緒には暮らさない。結婚式を挙げて時々会うだけ。それで、私の研究に必要なお金を出してくれる約束なの」
 とたんにマモルの表情が自分を哀れんでいるように見えて、アカリはいたたまれずに口を開いた。
「今の私にいちばん必要なのはお金なの。みっともないって思うかもしれないけど、これは事実だから。<掃除>は結果が出るまでにすごく時間がかかる。でも結果が出るまでスイーパーは報酬がもらえない。とにかく来週までにお金が入らないと、このラボを閉めなきゃならない、それならお金目当てに結婚しようってね」
「……」
 責めるようなマモルの視線がアカリの心に突き刺さった。
「もうそれしかこのラボを守る方法がない。今まで努力はしたよ。でも疲れた……1ヶ月前の論文コンテストで賞を取れなかったら自力でお金を稼ぐのをあきらめようって決めていたの。その最後のチャンスも逃してしまった今の私が研究を続けるには、結婚するしかないのよ」
 マモルの目つきが変わっていた。いたずらっ子のようにキラキラしている。それはあの時のアカリのあこがれの時和教授に似ていた。
「やっぱり駄目だ。そんな結婚、駄目だよ」
「じゃあ、どうすればいいのよ!」
 声を荒げるアカリにマモルが動じることはなかった。マモルはココアのカップを口に当ててゆっくりと飲み干す。ほんの1分だったかもしれないが、アカリが冷静さを取り戻すには十分な時間だった。
 アカリが落ち着いたのを見ると、マモルは言った。
「ねえ、どうして時和教授が最も偉大なグラウンド・スイーパーって言われているか知ってる?」
「彼が<掃除>に初めてケミ・アナリストを取り入れたからよ。物を見るだけでどんな成分からできているか分かる能力――教授自身がその能力を持つ家系で、ケミ・アナリストの協力があれば<掃除>の中でいちばん時間とお金がかかる分析が簡単にできる方法を編み出した」
「もし、ケミ・アナリストがいたら、アカリも今までよりお金が必要なくなるんじゃない?」
 ケミ・アナリストは<掃除>以外にも必要とされる仕事がある。また人数そのものが少ない。グラウンド・スイーパーが雇うのは例外中の例外なのだ。
「そうだけど、私みたいな無名スイーパーでは無理よ」
 すると、マモルは手近にあった砂のケースを拾い上げた。
「この砂の毒はヒ素、鉛、PCB。<掃除>に必要な植物の種のブレンドは篠原論文のMPL98-AVカクテルがいいと思う……アカリが出した論文コンテスト、時和シンジロウが審査委員長じゃなかった?」
「そうよ、時和シンジロウ教授、最も偉大なグラウンド・スイーパー。……マモル、あなた、まさか」
 アカリはひとつの可能性を思いついていた。そうだとしたら、今までの話の流れに説明がつく。が、突拍子もないことなので言葉にできない。
 マモルは砂のケースを元の場所に置いた。
「ぼくのおじいちゃん、すごく無茶をいう人で。ぼくに写真を渡して、この人を探せって言ったんだ。それがすごいピンボケで、写っているのが男の人か女の人なのかも分からなくてさ。おじいちゃんは『周りが反対したから駄目だったけど自分はこの人を選びたかった』って言ってたよ。
 あー、良かった。おじいちゃんに、写真の人の所にとりあえず半年いろ、それまでドームに帰ってくるなって言われててさ。見つからなかったらどうしようかと思ってた」
 アカリの頭の中はドレスと同じくらい真っ白になっていた。真っ白な頭にマモルの声だけが響く。
「ぼくのフルネームは時和マモル、時和教授の孫。おじいちゃんは、孫の中でぼくがいちばんケミ・アナリストの素質があると言っているよ」
 マモルは深く頭を下げると、右手を真っ直ぐにアカリの前に差し出した。
「アカリ、どうか、ぼくをここにおいて下さい。お願いします」
 マモルの手を、アカリは両手でしっかりと握った。
「もちろん、大歓迎するわ。さあ、そうと決まったらドームに買出しに行くわよ。マモルがここで暮らすのに必要なものをそろえなきゃ」
「お金がないんじゃないの?」
 顔を上げ心配そうしているマモルに、アカリは幸せな結婚を控えた花嫁を思わせる晴れやかな笑顔で答える。
「ウェディングドレスを売るから大丈夫よ。でも、せっかくだから売る前に一度、着てみようかな。マモル、そこからカメラを取って。それと髪を整えて」
 訳が分からず、きょとんとするマモルを急がせるように、けれど明るくアカリは言った。
「花嫁には花婿がつきものでしょ。名誉ある私の花婿役をマモルにやらせてあげるわよ!」
                          ――Fin


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