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ある夏の日の夕暮に(投稿者:oddsnow氏)


ガラガラガラッ

玄関の引き戸を開け、広いだけで大して彩も無い庭を見回しながら、しばし近くの林の中から聞こえるヒグラシの鳴き声に耳を澄ませてみた。

よく言えば閑静。

悪く言えば何もない。

それが10年ぶりに訪れた祖父母の家の印象だった。

祖父母の家で過ごすこと三日。

都会の生活に染まりきっていた体も、幾分かゆっくりとした時の流に慣れてきたように思える。

というか、幼稚園の頃まではここに住んでいたのだからさほど苦になるはずも無いのだが、それでもすべてがゆっくりとしたテンポで進む空間に多少の違和感は感じられずにいられなかった。

「……散歩でも……してみようかな……」

夕日に紅く染まった風景を見つめながら、ふと抑えようも無い衝動に駆られる。

抑え難い、というよりは抑える必要が無かったその衝動に従って、今しがた開けた戸を後ろ手に閉め、家の前に伸びているやや急な下り坂をゆっくりと下り始めた。

玄関の鍵をかけて来なかったが、散歩がてら少しあたりをぶらついて来るだけだし、一時間程度留守にした所でどうという事はないだろう。

今も昔も変わらぬ田舎の慣習である。

平時、自分が大学に通うために住んでいるような街とは違うのだ。

「え〜〜っと、あっちだったよな・・・」

ともすれば怪しくなりそうな記憶を手繰り寄せながらT字路を左に折れる。

後ろから射す西日が、自分の正面に影を作り出し、それが記憶の中にある子供の頃の影と比べて随分長いのに、郷愁とも違う何とも落ち着かない感慨が浮かんだ。

特に意味もなく辺りを彷徨わせていた視線に、周りの家から頭一つ分突き出たコンクリートの建造物が飛び込んでくる。

まるでパズルのピースがはまり込むかのような感覚で、その風景が色を帯び、鮮明な思い出となって脳裏に蘇ってくるのに、さほど時間は掛からなかった。

「小さくなったよなぁ……」

幼い頃、その高さにいつも見上げるようにして眺めていたビル。

四階建てのその建物は、高層建築物の無い田舎の風景の中にあって、唯一天に届くかのような印象を与えており、その向こう側を窺い知る事を許さぬものだった。

しかし街中の商社ビルを見慣れてしまった今となっては、ただのビルでしかない。

日焼けと風雨によって変色した壁を見つめていると、記憶が新たな風景を思い起こす。

「確か・・・・・・こっちかな……」

頭の中に浮かぶ不鮮明な地図を書き足すように、ビルの横を抜けて裏通りへと入っていく。

程なく、何十年も前から住人が居なくなり、打ち捨てられ野ざらしにされた廃屋に辿り付いた。

日暮れ前、斜陽に浮かび上がる廃屋は、幽玄と言うには程遠い禍々しい雰囲気を放っており、開け放たれた戸口や割れた窓ガラスの隙間から僅かに、内部の腐食した床板や壁材が窺える程度で、後は余人の立ち入りを拒むかのような閑散とした闇がその奥にわだかまっているのみである。

昔はその闇の中にお化けや妖怪でも棲んでいるような気がして、廃屋の前を通る時いつもビクビクし、足早に前を横切ったものだった。まして、夕暮れ時に自ら進んで近付こうなどとは考えられないことであった。

しかし、今同じ場所に立ってみても、あの頃感じた恐怖心や猜疑心はまるで浮かんでこない。

闇はかつてのような恐怖心ではなくただの不快感を催させ、自らの生命の危機を考えた廃屋の佇まいも今となっては姿勢の怠慢を考えさせるに過ぎなかった。

いずれにしろ、そこにあったのは、もはや自分の知っている風景ではなかった。

どこか煮え切らない感情を持て余しながら、昔よく来ていた酒屋の前に差し掛かる。

ふらりと家を出ただけだったのだが、ポケットの中に財布を入れて来たことを確かめ、入り口をくぐることにした。

ウィ〜ン

と無機質な機械音を立ててガラス戸がその身をひく。

愛想よく挨拶をしてくる若い店員に愛想笑いを返しながら、ふと店の内装が目にとまった。

『この店……自動ドアだったかなぁ……』

いまいちはっきりとしない違和感を感じながらも、並びだけは変わっていない棚を見て回る。

先ほど入り口で出迎えたのとは別の店員が店の奥で商品を並び替えていた。

どうやらこの店の若夫婦のようだ。

とするなら、俺も小さい頃に何度か顔をあわせているはずなのだが、まったく覚えられていないようで、まるで来たことも無い店にいるかのような錯覚に襲われる。

そんな店員の視線を避けるように店の中を歩き回ると、店の奥に置かれた飲料品用の冷蔵ショーケースに並べられた缶飲料の銘柄の中に、昔愛飲していた子供向けのジュースが陳列されているのを見つけた。

今のように健康面への配慮はまったくなされていない、合成添加物や着色料が奮段にミックスされた色水である。

健康食品の謳い文句のもと、隅へと追いやられてしまった缶を手にして苦笑う。

プルトップの部分は、ゴミが出ないような今の形に変わっていたが、それ以外は以前とまったく同じに見受けられた。

自分とこの店をつなげる唯一の物。

その存在にどこか安心し、またそんな自分が可笑しくて、今度は乾いた笑いが漏れる。

結局、ジュースは元の位置に戻し、替わりに最近愛用になった煙草を一箱買って店を後にした。


ミーンミンミンミン・・・・・・

酒屋を出ると、それまで忘れていた姦しい蝉の喧騒と、真夏の熱波が体全体に浴びせかけられた。

よくもこんな中で日が暮れるまで毎日遊びまわれていたものだと、呆れ半分に自分に感心する。

蝉の声に紛れて響く役場の鐘の音を聞きながら、煙草の先にライターで火をつけ、溜息とも取れない息と共に白濁の煙を吐き出す。

懐かしい風景は一瞬煙に巻かれ、その姿を消してゆく。

「そういえば、少し先に大きなパルプ工場があったな」

当ても無く歩いてきたが、懐かしい風景に当てられてもう少し遠出をしてみようと思う。

夕暮れ時の絡みつくような湿気の混ざった空気が不快だったが、車の中では味わえない風情だと言い聞かせ、歩みを進めた。

本当はここが自分の知っている街だという確証が欲しかったのかもしれない。

どことなく社会の変化は、自分をよそ者のように思わせ、

やがて、車両の運行用に整備された道路の先にパルプ工場が見えてきた。

剥がれかかった壁に、かすれて判別できなくなっている社名。

パルプをトラックに積み込むために、突然轟音が鳴り響いていたのとあいまって、子供ながらになにか反社会的な建物だと決め付けていた。

そう。

世界制服を企む秘密結社の秘密基地だ、と。

そんな工場も、今では先行きの危ういこの国の経済を移しているようにしか見えない。

今更ながらに、10年という年月の流を実感した。

「帰ろう」

赤と青のグラデーションがかかった空に、呟いた言葉と煙が霧散していく。

なにか心に足りない物があるような気がして、それがなんなのか分からないもどかしさもあり、それでも自分はなにか哀しみにも似た感覚を拭いきれないでいる。

と、途中道の向こうからやけに強張った顔をして、足早に歩いてくる小学生程の少年に出会った。

(・・・?)

具合でも悪いのかと少し心配気に見ていると、少年は俯かせていた顔を上げ、こちらの姿に気付くと何故かほっとしたような顔をして歩調を緩めた。

その様子がなおさら不審に感じられたが、さして気に留めずそのまますれ違う。

途端、慌しくなった後ろの足音に振り向いてみると、少年は一番近い街頭の下に向かって駆けて行くところだった。

それを見送りながら、何となく合点がいって止めていた足を再び動かす。

やがて、行きがけに通った廃屋の前までやって来た。

既に星空の占める面積の方が広くなった空に、その輪郭だけを黒く浮かび上がらせた廃屋の様子は甚だ怪異で、小さい子供なら、それこそ人のいる所か明かりのある場所まで足早に逃げ出してしまうだろう。

自分もそうだったことに人知れず苦笑しながら、短くなった煙草を灰皿に擦り付けていると、二人分だろう、子供の走る足音と喧騒が、夜気に包まれ始めた路上に反響しながら近付いてきた。

「もうちょっと遊ぼうよぉ!」

「ダメだって!早く寝て明日はラジオ体操が終わったらすぐに蝉取りに行く約束だろう?」

いかにも粗野で勝気そうな少年の声が、少し気弱そうな、やはり別の少年の声を掻き消す。

どこにでもあるような子供同士のじゃれ合いである。

二人の子供たちは、自分のことにはまるで気付かないようにすれ違うと、足音だけを残して夜道を遠ざかっていった。

徐々に小さくなっていく声を背中に聞きながら、緩めていた歩調を元に戻す。

「鬱陶しい蝉の声も、子供たちにとっては大切な遊び道具か……」

自分もそうだったな、と心の中で呟いた。

不思議と先ほどまで自分を苛んでいた感覚が消えている。

いや、そんな感覚など最初からなかったのかもしれない。


人は歳を重ね、刻一刻と変化していく。

あの子供たちも、いずれ今日の自分と同じような感慨を味わうようになるのかもしれない。

人は、周りの環境の変動に自分を見失い、昔確かにあった物の影を追い求め、結果その頃とは変わってしまった社会に望郷の念を募らせる。

いや、真に変化したのは自分であるのに、普遍を望む幼心がそれを認めず、一方では道徳と言った言葉が大人になる事を強要する。

人はみな、その呵責を通り抜けていくのだ。

が、人が変化するその過程にあったモノの、全てを無くしてしまうわけではない。

(……就職、もう少しまじめに考えてみるか……)

ここに至って、初めて気持ちが前に向いた。

幼い記憶との違いから、それまで自分を拒絶するかのようだった風景たちが、まるで見送ってくれているような気がして。

山影に微かに残る小さな西日を見つめたまま、アスファルトの道路をゆっくりと歩いて行く。

ある夏の日の夕暮れに……


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