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セカイノキオク(投稿者坏景環満氏)





  世界は、

  廻り続けている。




 最近、俺はよく呟く。
 「死にてえ」と。


 ――誰よりも死にたかったのは俺。
何の未練も、俺にはなかった。親は自分のことしか考えない嫌な奴だし、友人たちは偽善ヅラして他人の顔色を窺う。そんな日常は嫌いだった。死ぬことでこいつらに会わなくなるなら、そっちのほうが楽だ。

 一昨昨日は首をつろうとした。
ためしに首に縄を引っかけてみた。
――――だけど。
体のバランスを崩した瞬間、ぷつんと情けない音を立てて、縄は切れた。

 毎日がかったるい。やることもなく、ただ、決められたことだけについて動くだけ。怠惰、そんな言葉が嫌なくらいしっくりくる、毎日。そんな日常が嫌いで、壊したくて、だけど、行動には移さなかった。日常を壊すなんていう面倒なことをするより、自分をこの世界から消した方が、どれだけ簡単か。その気になりゃ一分でカタのつく話。
 ――誰よりもこの世界から消えたかったのは俺。

 昨日は車に轢かれようと思った。
ためしに道路に寝転んでみた。
――――だけど。
実際轢かれて死んだのは、俺の隣を悠然と歩いていた猫。


 俺は死なない。心から、死にたくても。
 世界は、今日も廻っていた。




 そんな理不尽極まる世界が壊れたのは、つい昨日だった。
 廻っていたはずの世界は、突然、終わった。
 目の前が真っ白になったかと思うと、もう、周りには何も残っていなかった。
 
 何も。

「皆、死んだのか……?」
俺は呆れて呟いた。同時に、奇妙な笑いがこみ上げてきた。
ここを歩くと、さくさくという音がした。まるで浅い砂丘を歩いているかのような不思議な感覚が、俺の足を包む。進んでいるのか戻っているのか、それさえもつかめない。
 そして、誰も、居ない。
「……俺は……また、死ななかったのか……?」
 地球上のどこかで、核戦争でも起こったのか。だから世界は誰も残さずに壊れたのか。
 それにしたって、俺ひとりを何故残す。
 世界が壊れておきながら何故俺だけが残った。

ただ笑う。笑うしか、今の俺にはすることがない。
世界が壊れて、最初の夜。




 いったいどれくらいの時が経ったのか、解らなくなってきた。今日は何日だろう。
 何も食べていないが、不思議と腹が減らない。
 俺はもう死んだのかもしれない、そんな考えがふとよぎった。死んだら腹も減らないはずだし、足元の感覚も説明がつく。それなら願ったり叶ったりだ。
 少し嬉しかったが、俺は何故か複雑だった。

「そこにいるのは、誰?」
 突然、奇妙な声がした。俺ひとりだと思っていた世界に、人が居る。意外なことだったが、それでも俺は、自分は死んだんだという勝手な憶測を胸に閉じ込めて、そいつの顔を拝みに行くことにした。

 若いのか年寄りなのか、よく解らなかったが、それは女だった。
「お前、どうやってここに」
俺は思わずそう聞いていた。彼女は丸い瞳で上目遣いに俺を見ると、恨めしそうな口調で、呟いた。
「貴方こそ、何故ここに居るの?」
「…………!?」
「答えなさいよ。何故ここに居るの!?」
「俺の質問に答えろ! 他の人間はどうなった? お前はなんでここに居る? 俺は解らん、気がついたら何もなかった」
女は黙った。俺も、言うだけのことは言ったから、黙った。
 女がやっと口を開いたのは、それから少ししてからのことだった。
「じゃあ、貴方はずっとこのままなのね」
「あぁ?」
まるきり的の外れた、意味の解らない回答。
「俺はそういうことを聞いてるんじゃなくて、」
「……哀しいわね」
「はあ?」
 それだけを言い残し、女はまるで霧のように消えた。その様はとにかく、『消えた』としか言いようがなかった。
「なんだ、さっきのは……」

  ずっと、このまま。
  哀しい……

女の呟きが、耳に残った。まるでエコーのように、『哀しいね』という声だけが、白い世界にとけた。

 今の俺には何も解らない。それでもいつの間にか、この世界に慣れてしまった。
 誰も居ない、白い世界にひとり。
 世界が壊れて、今日で、何日だろう。…………数えるのも、やめた。




 女はあれきり来ていない。
 俺はずっとこのままだと、あいつは言ったし、哀しいとも言った。訳が解らなかった。

 たとえば俺が本当に死んだとするなら?
 死んだらもっと嬉しいものだと思っていた。あの世界から切り離されることを望んで、俺は死のうとしていたはずなのに、何度やってもそれは成功しなくて、
 今回。あまりに突然だった。
 喜べもしないし、嬉しくも、ない。想像するのは確かに楽しかったけれど、ふと自分に戻ると、頭に浮かぶのは『何故』という疑問だけ。

 未練はなかった。
 死ぬことであの世界から切り離されるのなら、それが楽だと。
 日常を壊すよりは、自分が消えたほうが簡単だと、思っていた。
 その気になりゃ一分でカタのつく話。
 なぜ成功しなかった?

――誰よりも死にたかったのは俺。
――誰よりもあの世界から消えたかったのは俺。

 なのに成功しなかったのは。

「ね」
――声がした。 
「お前は、」
それは、あの女。
「わざと、成功、しなかったのよね?」
「え……」
奇妙な痛みを感じた。胸のどこかが、鈍く震えた。
「貴方は、誰よりも」
「黙れ!」

「あの世界から、消えたくなかったのよね」

「…………!」
足ががくがくと震えた。そして、俺はため息ともなんともつかない、大きな息を吐く。
 胸が熱い。いまあいつはなんと言った?

「貴方は生きることを自分でやめようとしてたくせに、生きたかったのね」
「何を!」
「ここはね、死んだ人の『記憶』を残しておく部屋なの」
「記憶……!?」
 初めて、目を凝らしてこの世界を見る。

  ぽう。
  ぽう。
  ぽう。

 あちこちから、丸い光が生まれた。暖かい光だった。
「これは死んだ人の残した『記憶』。これがひとつずつ形になって、人は新しく生まれ変わる」
「馬鹿馬鹿しい!」
「信じるのも信じないのも勝手だけど、この部屋に『人間』が残ることはすごく稀なの」
「…………」
「貴方は自分自身を『記憶』にしたかった。皆が自分のことを忘れてしまうのが怖かったのね」
 不思議な感覚。納得してるのか、嬉しいのか、それとも……
「……解んねーよ。じゃやっぱり、俺は死んだのか」
「うん」
「……そうか」
何故か、すんなり納得がいった。そうか、やっぱり俺、死んだのか……
「なのにここに身体ごと残ってる。おかげでこっちは迷惑よ、生まれることができなくて」
一瞬、俺の中で時が止まった。
「……なんだと?」
なんとか、それだけが言える。
「私はこれから、貴方の生まれ変わりになる。貴方の身体がここに留まっている限り、私は生まれられないの」

 俺がこの女になって、もう一度あの世界に生まれる……

「……どっか他所、探せよ。生まれ変わるなんざ俺はゴメンだぜ」
「嘘吐きね」

女の瞳は俺を哀れんでいた。それ以上、俺は何も言えなかった。

 ――誰よりも死にたかったのは俺。
 ――誰よりもあの世界から消えたかったのは俺。

だけど、

 ――誰よりも死にたくなかったのは俺。
 ――誰よりもあの世界に残りたかったのは俺。

何故、気づけなかったんだ。




 俺は寝転んでいた。起きている気力はなかった。
そばで、女がちょこんと座って俺の顔を覗き込んだ。それから、柔らかな顔で、言った。
「世界は廻ってる。毎日誰かが死んで、生まれ変わってる。その中で、どれだけ時が経っても皆に覚えられている人は、ほんのひと握りよ。……何故『記憶』から人が生まれ変わるか知ってる?」
「さあ」
「人は『忘れたくない』から、生きるんだって。だから死ぬと、どうしても忘れたくなかった『記憶』を抱えて、生まれ変わるの。でも、身体が残っていたら、生まれ変われない」
「なら、俺が『記憶』を預けたら、お前は生まれられるのか」
「そういうことになるけど、貴方は、ここから消えるわ」
「だけど俺の『記憶』はお前が抱え続ける」
「……うん」
女は何かを言いたそうだった。それでも言えなくて困った顔だった。
「何を隠してる?」
「……、『記憶』はね」
「うん?」
「抱えられた『記憶』は、とても危ういの。抱えたまま生まれる人も、無くして生まれる人もいる」
「……ああ……」

 そういうことか。
 保障はできないと。

 だけど、俺がここに残ったとしても、俺自身はあの世界には戻れない。
 ここでひとり、それこそ『怠惰』な時を――気の遠くなるような長い長い時間を過ごすだけだろう。
 そして、あいつは、生まれない。
「それじゃ『死に損』てヤツだよな」
カラ元気なのは十分解っていて、そんなことを呟いてみた。

 決心はついた。
 否、もう、とっくについていたのかもしれない。
 だとすれば、それは、俺が認めたくなかっただけのこと。

 イヤなところで頑固だな、俺。

「……『記憶』、お前に預けるよ」




 白い世界をさくりと踏んで、俺は、大の字に寝転んだ。
「世界はまだ、廻っているか?」
「たぶんね。あの世界は、廻り続ける時間の中で、そのうち貴方のことを忘れる」
「そうか……」
「世界の廻りは、それくらい、速いの。でも」
「でも?」
「私は、貴方の『記憶』を抱えて、世界のどこかに生まれる。……私は絶対に、無くさないわ」
 危ういくらい無邪気な笑顔。俺は黙って、手のひらに生まれた光を、彼女に預けた。
「あぁ、訊いてなかった。俺が死んだの、どうしてか、知ってるか?」
「……ある家が燃えてね。最初に逃げた息子が、残った両親を助けるために家の中に飛び込んで、それっきり。……両親は助かったけど」

 そうか。
 最後の最後まで、俺は。
 やっぱり、誰よりも死にたくて、
 誰よりも、あの世界に、残っていたかったんだ。

「……行くね?」
「ああ。……あのさ」
「なに?」
「もし俺の『記憶』の中の奴らに会ったら、よろしく伝えといてくれ」

「解った」

 その声と同時に、俺の意識は、飛んだ。
 もう二度と、俺がこの白い世界に足を踏み入れることはないだろう。
 そして俺は、ここから、消える。


 大丈夫。
 彼女が覚えている。
 俺の『記憶』は、全部、彼女に預けた。


  ひときわあかるく、白い世界が輝いた。


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